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奥州藤原氏

征夷大将軍だから権力をもてたわけじゃない。武士の本当の立場。

天下人

日本の歴史では、武士が国家を統治をした時代が長いので、武士は上級だと思われがちです。しかし本当は、武士も含めて軍人のランクはけっして高いものではありませんでした。

徳川の将軍だって上級だった理由は別のところにあります。

(鎌倉・室町の将軍はそこが足りなくて上手く行かなかった。)

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源頼朝が若い頃、なぜ河内源氏はどん底に落ちていたのか?自業自得?政治オンチ?

源義朝の墓

武士の代表格といえばなんといっても源氏でしょう。そのスタートを切ったのが鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもと の よりとも)。

しかし頼朝より前に、源氏(細かくいうと河内源氏)はメジャーの武士になっていました。ただ頼朝が登場したときはどん底 of どん底。

どうしていったん登りつめた河内源氏は落ちるとこまで落ちたんだろう?

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河内源氏ってなんだ?なぜ武士の源氏の中でメジャーになったのか?

武士

『源氏はどうして武士のトップになったんだろう?』

この疑問の答えをもっているのが河内源氏(かわちげんじ)です。そして、その土台を作ったクライマックスが八幡太郎こと源義家(みなもと の よしいえ)。

歴史に登場する源氏のほとんどは河内源氏になるほど突出して大きな勢力になりました。

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第70代 後冷泉天皇。終末思想に怯えて不安いっぱい。浄土信仰が生まれる。

japan's color image

第70代 後冷泉天皇(ごれいぜい)は、先代で父・後朱雀天皇のころから関白だった藤原頼通(ふじわら よりみち)にぜんぶ任せて表には出ませんでした。

世の中は末法思想を信じてプチパニックを起こします。

このパニックを鎮めるために建てられたのが平等院で、仏教から浄土信仰が生まれました。

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