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藤原氏

院政とは何だったのか?どうして『いんせい』というのか?なぜ上皇が出てきたのか?

Q&A image

院政は『いんせい』と読みます。

(上皇)の治』という意味で、藤原氏一強の摂関政治から天皇中心の政治システムに戻す流れの中で生まれました。

(天皇では心細いので必然と上皇がリーダーになる。)

実は、院政がなければ武家社会も生まれませんでした。どのようなものでしょうか?

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第71代 後三条天皇。摂関政治を壊した先駆者。やった功績の大きさを知ってほしい。

後三条天皇肖像画

後三条天皇(ごさんじょう)はミスター院政白河法皇の父で、藤原氏の横暴な政治を止めさせようとした人です。

実績の割に知られていない人で、もっと知ってほしい天皇のひとり。

後三条天皇の朝廷改革がなければ摂関政治が衰えず、院政もなく、武士の世もなかったかもしれません。

時代の大変革の土台を作った偉大な人です。

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姓、氏、名字、苗字の違いは何か?日本人は感覚で使い分けている。

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今は、(せい、かばね)、(し、うじ)、名字(みょうじ)、苗字(みょうじ)に違いはありません。使い分けする必要もありません。

ただ、これらは生まれた時代や由来がちがいます。最初はそれぞれの意味もちがいました。

それでは、どのようにして生まれたのか見ていきましょう。

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第60代 醍醐天皇。民間人から天皇になった男。平安の改革派(延喜の治)。

醍醐天皇肖像画

醍醐天皇(だいご)は歴代天皇の中でただひとり民間人出身の天皇です。

父の宇多天皇は一時期、皇族を離れ民間人だったことがあり、そのときに生まれたのが醍醐天皇でした。

生まれたときは親王でなければ皇子でもありません。その一民間人が天皇になります。

大胆に改革を断行した天皇でした。

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