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第71代 後三条天皇 摂関政治を壊した先駆者。やった功績の大きさを知ってほしい。

後三条天皇肖像画

歴代天皇 - 藤原氏に権力を委ねた天皇たち -

後三条天皇(ごさんじょう)はミスター院政白河法皇の父で、藤原氏の横暴な政治を止めさせようとした人です。

実績の割に知られていない人で、もっと知ってほしい天皇のひとり。

後三条天皇の朝廷改革がなければ摂関政治が衰えず、院政もなく、武士の世もなかったかもしれません。

時代の大変革の土台を作った偉大な人です。

中世 平安時代 - 末期 -

  • 皇居
  • 平安宮
    (へいあんのみや)

  • 生没年
  • 1034年7月18日 ~ 1073年5月7日
    長元7 ~ 延久5
    40才
  • 在位
  • 1068年4月19日 ~ 1073年12月8日
    治暦4 ~ 延久4
    5年
  • 名前
  • 尊仁
    (たかひと)
  • 別名
  • 延久帝
    (えんきゅうてい)

  • 女御
  • 藤原茂子
    (ふじわら もし/しげこ)

    藤原公成の娘
    (ふじわら きんなり)

  • 女御
  • 藤原昭子
    (ふじわら しょうし/あきこ)

    藤原頼宗の娘
    (ふじわら よりむね)

  • 女御
  • 源 基子
    (みなもと の きし/もとこ)

    源 基平の娘
    (みなもと の もとひら)

  • その他

女御(にょうご)

位の高い朝廷の女官。天皇の側室候補でもあったので、天皇の側室という意味もある。

後三条天皇 系図
宮内庁HPより抜粋 一部筆者加工

生まれが藤原氏出身でないためずっと中途半端

母が天皇の娘で皇族で、第59代 宇多天皇(うだ)以来、170年ぶりに藤原氏の外戚(嫁の実家)をもたない天皇です。

皇太弟になってもなかなか天皇になれず、10~34才の24年間、東宮生活を送りました。

皇太弟(こうたいてい)

天皇の弟が次の天皇に指名されたときに使う。

皇太子は、天皇の子供が指名されたときに使うので、弟の場合は使えない。

東宮(とうぐう) 

皇太子の住まい。たんに皇太子のことを東宮と呼ぶことがある。

今でも皇太子殿下の住んでいるところを東宮御所という。

後三条天皇は生まれが藤原氏と関係ないため、関白藤原頼通(ふじわら よりみち)に嫌われていました。

頼通は、先代で後三条天皇の兄・後冷泉天皇の皇后に自分の娘を入内させ、その娘に息子が生まれるのを待っていたので、皇太弟はジャマでしょうがありません。

入内(じゅだい)

裏(だいり)にる』から、天皇の妻として認められることをいう。

天皇と結婚すること。

内裏は天皇の住むところ。プライベートエリア。

だから24年も放置されました。この長さは異常です。当時は幼い天皇が当たり前なのに。

しかし後三条天皇は24年をムダにしませんでした。藤原氏中心の摂関政治の裏表をすべて観察していたのです。

そして、自分が天皇になったときに何をすべきか考えつづけました。その答えが、

藤原氏の横暴は許さない。

嫁を見れば期待されてないのが分かる

藤原道長(ふじわら みちなが)の登場以降、藤原氏の主流は道長の子孫です。

道長の娘や孫をもらった皇子が天皇になると言っていいほど。

天皇天皇の妻
第66代 一条天皇
道長の姉の子。
皇后・彰子(しょうし)。
道長の娘。
第67代 三条天皇
道長の姉の子。
皇后・妍子(けんし)。
道長の娘。
第68代 後一条天皇
道長の孫。
皇后・威子(いし)。
道長の娘。
第69代 後朱雀天皇
道長の孫。
皇后・禎子内親王(ていし)。
三条天皇と妍子の娘。
道長の孫。

皇后・藤原嫄子(げんし)。
一条天皇の孫。
道長の兄・道隆(みちたか)の子孫。
道長の子・頼通(よりみち)の養子。

女御・藤原嬉子(きし)。
道長の娘。

女御・延子(えんし)。
道長の子・頼宗(よりむね)の娘。
道長の孫。

女御・藤原生子(せいし)。
道長の子・教通(のりみち)の娘。
道長の孫。
第70代 後冷泉天皇
道長の孫。
皇后・章子内親王(しょうし)。
後一条天皇と威子の娘。
道長の孫。

皇后・寛子(こうし)。
道長の子・頼通の娘。
道長の孫。

皇后・歓子(かんし)。
道長の子・教通の娘。
道長の孫。
道長登場以降の天皇の主な妻

後三条天皇も道長のひ孫ですが、遠いご先祖様なのでファミリー感はありません。そして、後三条天皇の嫁も道長ファミリーとは言えませんでした。

皇后・馨子内親王後一条天皇と威子の娘。
道長の孫。
女御・源基子三条天皇のひ孫。
道長のお祖父ちゃんの弟の子孫。
女御・藤原茂子道長の叔父さんの子孫。
女御・藤原昭子道長の子・頼宗の娘。
道長の孫。
後三条天皇の主な妻

道長の孫を入内させてますが、これまでとちがって積極的じゃありません。

後三条天皇のころは、道長の子・頼通(よりみち)の時代なので、同じことをするなら頼通の娘を嫁がせるはずなのにそれをしていないから。

入内(じゅだい)

裏(だいり)にる』から、天皇の妻として認められることをいう。

天皇と結婚すること。

内裏は天皇の住むところ。プライベートエリア。

頼通は、天皇にするつもりがない皇子が天皇になったのでよけいに後三条天皇が嫌いでした。

藤原道長だけがこうしたわけでなく、藤原氏はもっと前から、藤原氏長者の家が皇后を出すようになっていた。

よほど藤原氏内部のパワーバランスが変わらないかぎり。

道長は藤原氏長者の家に生まれたので先祖の真似をしただけ。

後三条天皇が即位すると、藤原頼通は関白を辞めて、弟・藤原教通(のりみち)が藤原氏長者と関白になっていました。

後三条天皇はその教通とも親戚関係を結んでいない。

日本人は好きかも。不屈の精神で改革を断行!

突然ですが、ヒットした日本のドラマです。

ROOKIES

半沢直樹

下町ロケット・下町ロケット2

スクール・ウォーズ(相当古い。30年以上前のドラマ)

ノーサイド・ゲーム

恵まれない境遇でガマンして、ガマンして、最後に大逆転する共通点があります。

(なぜかTBSばっかり。)

後三条天皇はそんな人です。

やっと天皇になって、いきなり改革

34才で天皇になった後三条天皇は、家のランクや身分は低いけれど能力は高い人を積極的に登用して、藤原氏に頼らない天皇中心の政治を行いました。

天皇親政です。

まず、即位の翌年、延久の荘園整理令を発布して財政の再建をはかります。

当時、摂政関白など主要ポストを独占していた藤原氏は、権力を使って違法荘園を日本全国に展開して、自分の懐に入れていました。

荘園(しょうえん)

743年に私有地を持てる法律ができたことから始まる、上皇・貴族・寺社勢力・豪族の私有地のこと。

農園と言われることがあるが鉄の生産など工業も行われた。

室町時代くらいから武士などの地方の有力者に奪われ失われていく。

豊臣秀吉の太閤検地などの土地制度改革で、私有地はいったん国に返すことになったので消滅する。

国家財産、国家収入になるものを藤原氏がネコババしてたんですね? これはあまりにひどく、財政を圧迫するほどでした。

国や藤原氏以外の人々はどんどん貧乏になり、それに反比例して藤原氏はどんどん裕福になっていきました。

この整理令は、

  • 不正蓄財は許しません。
  • 不正と判断したものはすべて国に返還させる。

というものでした。

ほかにも大きな宗教勢力、とくに天台宗なども多くの荘園をもっていた。

それだけでなく、勝手に関所を作って通行料を取るなどやりたいほうだい。

ここまでやってよく殺されなかった

これはスゴイことです。当時の藤原氏は、だれにも文句が言えないほどやりたい放題でした。その力の根源の経済基盤・荘園にメスを入れたんだから。

暗殺されてもおかしくありません。じっさいに改革を行なったのは、藤原氏でないため恵まれなかった、源経長(みなもと の つねなが)や大江匡房(おおえ まさふさ)などです。

経長は宇多天皇の玄孫(やしゃご)。何か因縁を感じます。

源氏二十一流のひとつ、宇多源氏

源氏二十一流(げんじにじゅういちりゅう)

天皇の子孫の氏族の源氏には21の系統がある。その総称。

天皇の息子・孫を臣籍降下して民間人にするのに源(みなもと)姓は多く使われ、第52代 嵯峨天皇の息子から始まる。

平安時代の初期から中期にかけて、天皇は源氏を作るのが常識なほど一番多く作られた。

ペースは徐々に落ちていくが、戦国時代の第106代 正親町天皇の系統が江戸時代初期に作られたのが最後。

1第52代 嵯峨天皇嵯峨源氏
(さが)
最初は、左大臣・右大臣など、藤原氏と並ぶ政治家一門だった。
徐々に藤原氏に押され有力政治家を出さなくなる。

渡辺氏、松浦氏、蒲池氏など知る人ぞ知る武士に残った程度。
2第54代 仁明天皇仁明源氏
(にんみょう)
嵯峨源氏と同じく、藤原氏と並ぶ政治家一門だった。

仁明源氏の中から平氏に枝分かれしたのもいる。
仁明平氏

徐々に藤原氏に押され有力政治家を出さなくなり、その後目立った人は出ていない。
3第54代 文徳天皇文徳源氏
(もんとく)
前例と同じく藤原氏と並ぶ政治家一門だった。
徐々に藤原氏に押され有力政治家を出さなくなり、その後目立った人は出ていない。
4第56代 清和天皇清和源氏
(せいわ)
政治家としてはパッとしない。
国司や軍事専門の地方役人などに多くの人を輩出する。

それらが武士となり、日本最高の武家一門に成長する。
源頼朝、足利高氏など有力武将は数知れず。

貴族としては公卿にギリギリ滑り込んだ程度。
唯一残っていた竹内家がつづき明治に華族になった。

21の源氏の中でもっとも有名になった家。

村上源氏以外でただひとり、足利義満が太政大臣になった。
5代57代 陽成天皇陽成源氏
(ようぜい)
多くの公卿を輩出する政治家一門だったが、これまでの源氏と比べ見劣りする。
その後も目立った貴族、武士などはいない。
6代58代 光孝天皇光孝源氏
(こうこう)
最初は、中納言を輩出するなど政治家一門だったがフェードアウト。

その中でひとり、康尚(こうしょう)が仏師になり日本仏教彫刻の最大勢力、慶派(けいは)を作っていく。
鎌倉時代の有名な彫刻家、運慶湛慶(うんけい・たんけい)もその子孫。

その他、数々の天才彫刻家は数知れず。
慶派は幕末の動乱まで仏師の主流だった。
(日本の彫刻界の中心だったと言ってもいい。)
7第59代 宇多天皇宇多源氏
(うだ)
最初は左大臣を出すなど政治家一門だったがフェードアウト。

鎌倉時代には綾小路家・大原家など公卿の中堅に多くを出した。
明治になると多くが華族になる。

佐々木氏など有力武士も多いが天下取りを争うほどではない。
8第60 醍醐天皇醍醐源氏
(だいご)
最初は左大臣を出すなど政治家一門だったがフェードアウト。
その後、貴族ではあったが地下家(じげけ)で上流貴族になれていない。

地方に散らばり武士になった人も多いがメジャーではない。
9第62代 村上天皇村上源氏
(むらかみ)
多くの源氏が朝廷でフェードアウトする中、最後まで上流貴族を保った。
(天皇の子孫の意地を見せた。)

藤原氏にかくれているが、貴族の源氏と言えば村上源氏というくらいの勢力。

源氏で最大の3人の太政大臣を出す。

明治維新の岩倉具視(いわくら ともみ)を出した。
武士では北畠氏(きたばたけ)を出した。
10第63代 冷泉天皇冷泉源氏
(れいぜい)
作られた当初から存在感がない。
本当にあったのか? と思うほど。
11第65代 花山天皇花山源氏
(かざん)
ギリギリ上流貴族の半家に白川伯王家(しらかわはくおう)が残っただけ。
1家で頑張ってきたが昭和になって断絶した。
12第67代 三条天皇三条源氏
(さんじょう)
貴族では最初からパッとしない。
僧侶や天皇の妻などになり目立たない。
13第71代 後三条天皇後三条源氏
(ごさんじょう)
ひとりだけ源氏になった源有仁(みなもと の ありひと)は左大臣までなったが後継者がいなくて断絶。

武士の中には後三条源氏を名乗るものがいたが自称の可能性が高い。
14第77代 後白河天皇後白河源氏
(ごしらかわ)
反平家の挙兵をした以仁王(もちひとおう)ひとりだけ。

皇籍を剥奪され懲罰で源氏になった。
討伐軍に追われて戦死。
15第84代 順徳天皇順徳源氏
(じゅんとく)
ひとり左大臣を出した。
室町幕府 第3代 将軍・足利義満(あしかが よしみつ)のときに最後の一人が出家してしまい断絶。
16第88代 後嵯峨天皇後嵯峨源氏
(ごさが)
源惟康(みなもと の これやす)ひとりだけ。
鎌倉幕府 第7代 征夷大将軍になる。

親王のままの将軍は都合が悪いから源氏になった可能性が高い。
17第89代 後深草天皇後深草源氏
(ごふかくさ)
鎌倉幕府 第8代 将軍・久明親王(ひさあきら)の孫が源氏になる。

大納言にまでなったがあとが続いていない。
18代90代 亀山天皇亀山源氏
(かめやま)
特筆する人はない。
19第84代 後二条天皇後二条源氏
(ごにじょう)
特筆する人はいない。
20第96代 後醍醐天皇後醍醐源氏
(ごだいご)
後醍醐天皇の孫が源氏になったと言われるが、詳細がない。
(信憑性はないかも?)

武家の大橋氏、神社を代々守る社家の氷室氏など末裔を名乗る氏族はいる。
21第106代 正親町天皇正親町源氏
(おおぎまち)
正親町天皇は織田信長・豊臣秀吉のころの天皇だが、江戸時代にその子孫が源氏になる。
広幡家(ひろはた)

摂関家に次ぐ清華家になるなど格別の待遇を受けた。
明治になると華族になる。

源氏として活躍したのは平安中期までに作られた源氏で、村上源氏で勢いは止まる。

その後は活躍する人が出ていない。鎌倉時代は幕府の将軍が大きく関係している。

臣籍降下(しんせきこうか)

皇族が下のりること。

皇族が民間人になって皇室から離れること。

奈良時代は罰として行われ、反省して許されると皇族に戻ることもあった。

貴族の家格(かかく)

平安時代になると特定の家が要職を占めるようになる。

(主に藤原氏と天皇の子孫の源氏

鎌倉時代になると貴族のランクが家単位で固まった。それを家格という。

1摂関家
(せっかんけ)
摂政関白太政大臣になる。
五摂家。
すべて藤原北家の流れ。
2清華家
(せいがけ)
摂政・関白はなれないが、太政大臣になる道があった。

江戸時代には最高位が左大臣に下げられる。
(江戸時代に太政大臣は摂関だけに限定。)

三条(さんじょう)
西園寺(さいおんじ)
徳大寺(とくだいじ)
久我(こが)
花山院(かざんいん)
大炊御門(おおいのみかど)
菊亭・今出川(きくてい。または、いまでがわ)
の7家。

久我家は唯一、天皇の子孫の源氏の流れ。
村上源氏

ほかはすべて摂関家に食い込めなかった藤原氏北家。

江戸時代に広幡家(ひろはた)と醍醐家(だいご)を追加した。
広幡家は第106代 正親町天皇の子孫の正親町源氏
醍醐家は五摂家のひとつ一条家の分家。
3大臣家
(だいじんけ)
清華家の分家。
摂関家・清華家はなれない参議 -> 中納言とステップアップする家。
大納言・近衛大将を飛び越えて内大臣になる道もあった。
(まれに右大臣になる人もいた。)

太政大臣になることもできたが江戸時代に廃止。

正親町三条・嵯峨(おおぎまちさんじょう。のちにさが)
-> 三条家の分家。藤原氏。

三条西(さんじょうにし)
-> 正親町三条の分家。藤原氏。

中院(なかのいん)
-> 久我の分家。村上源氏。

の3家。
4羽林家
(うりんけ)
近衛少将・中将になる。
参議 -> 中納言 -> 大納言にステップアップする家。

軍事を担当する。
江戸時代には大名家に与えられた。

藤原北家: 51家(上位や同じ羽林家からの分家)
藤原南家: 4家
村上源氏: 8家(久我の分家)
宇多源氏: 3家

数がいきなり増える。また、藤原南家、宇多源氏など、上位に見られない系統もある。
4名家
(めいけ / めいか)
序列は羽林家と同じ。
最高位も同じで大納言。
(例外で左大臣になる人もいた。)

天皇のお世話係の侍従・文書作成などの弁官から出世する。
羽林家は武門に対して名家は文官。

藤原北家: 25家
桓武平氏: 3家

平安末期にイケイケだった平家がひっそりと残る。
5半家
(はんけ)
大納言になった人がいるがほとんどが参議になってない。
(上流貴族でも政権中枢に入れない)

特殊技能を使って朝廷の仕事をした。

藤原北家: 2家
清和源氏: 1家
宇多源氏: 2家
花山源氏: 1家
桓武平氏: 2家
菅原氏(すがわら): 6家
清原氏(きよはら): 3家
大中臣氏(おおなかとみ): 1家
卜部氏(うらべ): 4家
安倍氏(あべ): 2家
丹波氏(たんば): 1家
大江氏(おおえ): 1家

いろいろな氏族が入っている。
菅原道真(すがわら の みちざね)の菅原氏、マイナーな源氏など。

清原氏は天皇の子孫。源氏よりも古く、飛鳥・奈良時代の天皇から分家した。

大中臣氏は藤原氏の祖先・中臣氏の流れ。藤原氏の本家筋。
古代から宮中祭祀を仕切る仕事をしてきた。

卜部氏は卜筮(ぼくぜい)という占い専門の集団。

安倍氏も天皇の子孫。第8代 孝元天皇の皇子・大彦命(おおひこ の みこと)の流れで天皇の子孫でもダントツに古い。
(神話の話で信憑性も薄い。)

安倍氏の系統・土御門家(つちみかどけ)は陰陽道を駆使した。
陰陽師・安倍晴明(あべ の せいめい)がいた家。

丹波氏は、第15代 応神天皇のころに来日した渡来系氏族の末裔。
坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)を出した坂上氏の分家。
医療技術(薬剤を含む)を駆使し多くの医者を出した。

大江氏は、古代からの氏族・土師氏(はじうじ)の分家と言われる。
土師氏は埴輪(はにわ)を開発した野見宿禰(のみ の すくね)から始まる土木技術を得意とした氏族。
(ちなみに、野見宿禰は日本最古の力士・相撲取りとも言われる。)

上流貴族にギリギリ入り込んだランクではあるが、氏族・得意分野のバリエーションが多く魅力的な集団。
堂上家

表の6つのカテゴリは堂上家(どうじょうけ)といい、天皇の住居兼オフィスの清涼殿(せいりょうでん)に入ることが許された貴族。

堂上家は太政官の政権中枢の役職(中納言・大納言・右大臣・左大臣)になれる貴族で公卿(くぎょう)ともいう。

堂上家に対して、昇殿を許されない貴族もいた(江戸時代には460家以上)。地下家(じげけ)という。

また、堂上家(公卿)じゃないのに昇殿は許された人を殿上人(てんじょうびと)という。

五摂家(ごせっけ)

平安時代の摂関政治では摂政・関白になれる家は決まっていた。それを摂関家(せっかんけ)という。

鎌倉時代以降、摂関家の中でさらに摂政・関白になれる家柄がしぼられた。その5家のことを五摂家という。

  • 近衛(このえ)
  • 九条(くじょう)
  • 二条(にじょう)
  • 一条(いちじょう)
  • 鷹司(たかつかさ)

くわしくは『摂関政治とは何か?』で。

五摂家は明治に入ってもつづき、華族制度ができてからは華族として位置づけられた。

1947年の華族制度の廃止まで、由緒ある家として知られていた。

まだまだ改革は終わらない

さらに翌年、絹布の制(けんぷのせい)を制定し、さらに2年後、公定升(こうています)を制定します。

絹布の制は、絹(きぬ。シルク)の品質を統一する政策。質の悪いものを高く売りつけるような商売をなくすためですね?

公定升は公式の度量衡(どりょうこう)で、度量衡は、長さ(度)、容積(量)、重さ(衡)を測る物差し、はかりのことです。

公定升は、そのはかりの精度を上げて基準を作り、国が保証しました。

農作物などを国におさめるときのルールを統一するのと、役人がわざと多めに取ってネコババするのを防ぐためです。

どれも経済に直結する政策で、その経済活動の不正は何人たりとも許さないというもの。

後三条天皇は経済通の政治家だと思います。ほかにもいろんな実績を残します。

この改革で摂関政治は衰退していく

後三条天皇は人の意見をよく聞き、人柄もよく、深い学識をもっていました。また強い政治力も発揮しました。

しかし、4年半という短い在位で息子の白河天皇にあとを任せます。

病気のためか、院政を始めようとしていたのか分かりませんが、藤原氏と距離をとり摂関政治とはちがった天皇中心の政治を目指したのは確か。

天皇を退位した翌年には亡くなってしまいます。対立した藤原頼通でさえ、

公家 image
末代の賢主を失った。

と嘆くほどの人でした。

このあとは、稀代の怪物政治家・息子の白河天皇が院政をはじめて摂関政治は衰退していきます。そして、院政、武家政権と目まぐるしく時代が変わっていきます。

長生きしていたらどうなっていた?

長生きしたらもっといい世の中を作ってくれたのに。

と思いたいところですが、早く白河天皇にバトンタッチしたことが政治システムの転換にはよかったかもしれません。

親子ですが性格は真逆で、後三条天皇は実務能力が異常に高く有能な行政マン。そしていい人でした。

一方、息子の白河天皇は、政治闘争に異常に能力を発揮した人です。性格はワンマンで、自分が気に入らなければ、息子だろうがだれでも容赦なく排除します。

これが、既存の政治システムを壊して新しいシステム(院政)を作るのに適していました。

親子のコンビプレーで改革できた

父が細かい修正を繰り返して世の中を上昇気流に乗せ、息子がその気流に乗っかって新しい時代の扉を開きました。

親子2代のコンビプレーといっていいと思います。

息子の白河天皇は平清盛と同時代を生きた人で、キャラクターも個性的なのでかなり有名ですが、父はほとんど知られていません。

しかし後三条天皇が作った土台がなければ白河天皇は財政が苦しく、政治闘争に専念できなかったはずです。稀代の怪物政治家・白河天皇は生まれなかったでしょう。

後三条天皇はもっと知ってもらいたい人です。

天皇と藤原氏の関係が変わる

藤原氏最強の男といえば藤原道長(ふじわら みちなが)。

道長は天皇をイジメて退位させ、皇太子もイジメて辞退させるほどパワハラ満載でした。

3代連続、天皇の皇后に自分の娘を嫁がせたほど歴史上だれもできなかったことまでしました。

後三条天皇の時代の藤原氏を率いた道長の息子の藤原頼通(よりみち)・教通(のりみち)兄弟は、父ほど天皇をコントロールできません。

後三条天皇は道長にイジメられて退位した三条天皇の孫。お祖父ちゃんが何をされたのか忘れなかったのでしょう。

道長でピークに達した藤原氏のパワハラ体質を止めるのも後三条天皇の改革でした。だから自分の選んだ優秀な部下たちに仕事をさせ、関白・教通とは距離を置きます。

後三条天皇以降は、天皇が摂政・関白の操り人形でなくなります。そこに割って入ったのが院政

院政は道長の行き過ぎたパワハラの反動とも言えます。

それでも摂政・関白の藤原氏の力は絶大でした。ただ、天皇・皇太子をイジメるとか、そういった幼稚なことはしなくなります。

藤原忠実(ただざね)が天皇の補佐に徹するようになるのも後三条天皇以降。勝手なことをする人はいなくはないですが。

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第70代 後冷泉天皇 終末思想に怯えて不安いっぱい。浄土信仰が生まれる。
第72代 白河天皇 院政の創始者。藤原一強時代を終わらせる。
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天皇・皇室の本

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『天皇について基本的なことを知りたい』『過去の天皇の人物像を知りたい』という人におすすめの本を選びました。

内容がかんたんで頭に入りやすく、でも内容が薄いわけではありません。むしろ濃いくらいです。

日本人なら知っていてほしい天皇・皇室の基礎知識だけでなく、外国の人に説明できるくらいの知識が身につきます。

文章が苦手な人にはマンガ本もあります。

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