蔵人所は江戸時代以前の朝廷の役職でかなり重要なものだったんですが、設置されたのは平安時代に入ってからです。
しかも、緊急事態で。
天皇と上皇が大戦寸前まで行き、天皇が上皇に情報が漏れるのを阻止するために作りました。
緊急に作ったんですがそのまま常設になり強力な組織に変わります。
上皇を警戒して天皇が設置した直属の情報漏洩防止機関
蔵人所(くろうどどころ)を設置したのは第52代 嵯峨天皇です。嵯峨天皇は先代で兄の第51代 平城天皇(このときは上皇)と大戦寸前まで行ってました。
あの有名な悪女、藤原薬子(ふじわら くすこ)がからんでます。
平城上皇は都が平安京にあるのに、以前の都、平城京にリターンの宣言をしました。
嵯峨天皇は拒否。
この緊急事態の中、蔵人所は設置されます。
蔵人は天皇直属の役人であり、対上皇のための公安組織であり、天皇の秘書でありの、表と裏の両方に対応するものでした。
最初の長官は平安時代の基礎づくりを一手に引き受けたと言われる藤原冬嗣(ふじわら ふゆつぐ)。
のちに栄華を極める藤原氏の実力者です。
頭は『かみ』と呼ばずに『とう』と呼ぶ
朝廷の役所の幹部は一般的に四等官にのっとって設置されます。
長官 (かみ) | 次官 (すけ) | 判官 (じょう) | 主典 (さかん) |
---|---|---|---|
別当 (べっとう) | 頭 (とう) | 五位蔵人 (ごいくろうど) | 六位蔵人 (ろくいくろうど) |
律令制の官職ではふつう、頭は『かみ』と読んで、四等官で言えばその組織の長官(これも『かみ』と読む)です。
でも、蔵人所では四等官で言えば次官クラス。
ここに嵯峨天皇の気合の入れようが見えます。『この組織は次官なのに頭だぜ!』という気合。
じっさい、蔵人所は四等官に習ってない組織だったと言われ、嵯峨天皇は特別視したかったようです。
その証拠に、新たに平安時代に追加したにしては貴族の位階が高い。幹部の一番下、主典クラスでも六位。
位 | 太政官 | 蔵人所 |
---|---|---|
正一位 従一位 | 太政大臣 | |
正二位 従二位 | 左大臣 右大臣 内大臣 | 別当 |
正三位 | 大納言 | |
従三位 | 中納言 | |
正四位上 正四位下 | 参議 | |
従四位上 | 参議 弁 ・左大弁 ・右大弁 | 頭 |
従四位下 | 参議 | 頭 |
正五位上 | 弁 ・左中弁 ・右中弁 | 五位蔵人 |
正五位下 | 弁 ・左少弁 ・右少弁 | 五位蔵人 |
従五位上 | 五位蔵人 | |
従五位下 | 少納言 | 五位蔵人 |
正六位上 | 史 ・左大史 ・右大史 | 六位蔵人 |
正六位下 従六位上 従六位下 | 六位蔵人 |
色付きは令外官。
比較のため太政官を入れた。
そしてなんといっても、長官の別当が二位。これは政権トップの左大臣・右大臣と同じで、朝廷の軍組織の長官よりも上。
どれだけ重要視していたか分かる。
蔵人所はあとで追加された役所なので令外官です。
律令(りつりょう)
律(りつ。刑法)と令(りょう。民法、行政法)からなる憲法みたいなもの。
7世紀の当時、世界の先進国の1つだった中国から伝わる。
日本は世界の先進国の仲間入りを目指して導入し始めていた。
律令で統治された国家を律令国家、その政治システムを律令制という。
少納言を喰って太政官の一角を崩す
朝廷の役所の中枢は太政官(だいじょうかん)で、今で言う内閣府なんですが、その中にさらに中枢があり三局(さんきょく)と呼ばれました。
太政官(だいじょうかん)
律令制のなかで政治を動かすトップの組織。いまでいう内閣みたいなもの。
四等官 | 官位 |
---|---|
長官 (かみ) | 太政大臣(令外官) 左大臣 右大臣 内大臣(大宝律令で廃止。令外官として復活) |
次官 (すけ) | 大納言 中納言(大宝律令で廃止。令外官として復活) 参議(令外官) |
判官 (じょう) | 少納言など |
主典 (さかん) | 省略 |
左大臣は総理大臣みたいなもの。行政の全責任を負う。
最初はなかったが、近江令で左大臣のさらに上の太政大臣ができた。
最初の太政大臣は大友皇子。
(その後、平清盛、豊臣秀吉など)
太政大臣は、よっぽどの人でないとなれないので空席もあった。
明治新政府で置かれた太政官は同じものではなく、似たものをつくって置いた。『だじょうかん』といい呼び方もちがう。
明治18年に内閣制度ができて消滅する。内閣制度はイギリスがモデルだが、いまでも名前で太政官が受け継がれている。
内閣の一員 -> 大臣(だいじん)
官僚組織 -> 長官(ちょうかん)、次官(じかん)
日本では大臣を『相』ともいう。呼び方が2つあるのは日本独自と輸入品の両方を使っているから。
首相 = 総理大臣
財務相 = 財務大臣
○○相 | イギリスの議院内閣制の閣僚の日本語訳 |
○○大臣 | 太政官の名残り。日本だけ。 |
政治ニュースでよく見るとわかる。外国の政治家には『大臣』といわず『相』といっている。
ちなみに、アメリカのような大統領制の『長官』は太政官の長官(かみ)とは関係ない。日本人に分かるようにあてはめただけ。
大臣は『天皇の臣下のリーダー(大)』という意味。天皇がいないと大臣は存在できない。天皇の『臣下=君主に仕える者』だから。
位の上から左弁官(左弁官局)、右弁官(右弁官局)、少納言局です。
蔵人所は、この中の少納言の役割をどんどん吸収していきました。最終的に少納言は印と鈴を管理するだけの仕事になったほど。
少納言局は、天皇の印鑑の御璽と太政官の印鑑の外印(げいん。太政官印)を管理監督していたので、情報漏洩防止策で一番気をつけるところ。
戦争では、フェイクニュースや、怪情報、偽公文書が飛び交うから。
蔵人からすると、そりゃ吸収するよね?
蔵人からすると当然です。三局の上司の上司の上司、社長と同格の長官がいるんだから。
それなら、弁官(左右の弁のことをいう)も吸収されるじゃんと思うところですが、そうはなりませんでした。
弁官は太政官から独立していたといわれちょっと特殊だったから。太政官とは別に貴族の給与計算などをし、保管するなど人事・財政管理をしていました。
いくら蔵人が猛烈な勢いで組織内をかけあがったとしても、弁官の独立性は守ったということでしょう。
この弁官の仕事はかなり重要です。省などその他の組織の管理監督をしていたから。
組織の不正を正さないといけません。
小弁・中弁・大弁は、参議、それ以上の中納言・大納言、右大臣・左大臣へのステップアップに必ず通らなければならない登竜門でした。
大弁にもなると参議との兼任もあったようです。もう出世街道に乗ったようなもん。