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藤原鎌足

天皇親政と皇親政治のちがいってなんだ? 同じようで同じじゃない。

菊花紋章

天皇がリーダーシップを取る政治には天皇親政(てんのうしんせい)と皇親政治(こうしんせいじ)があります。

二つのちがいは時代、システムもありますが、いちばん特長的なのは天皇を支えた人がちがう。

皇親政治のほうが天皇も含め皇族に政治力が求められていました。

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第41代 持統天皇。国家を生んだ『日本の母』。この人なしに今の日本はない。

持統天皇 肖像画

女帝の第41代 持統天皇(じとう)が、国名を倭から日本に変えたことはあまり知られていません。

それ以外にも、国家・日本の基本が完成したのは、持統天皇(上皇)の時代です。

まさに『日本の母』。

この人がいなければ、日本人の当たり前がなかったことがたくさんあります。

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第38代 天智天皇。なかなか天皇にならない中大兄皇子。慎重な名君か?ただのダダっ子か?

emperor tenji image

天智天皇は(てんじ)は、あの中大兄皇子(なか の おおえ の みこ)です。

4代の天皇の皇太子なのに即位せず、先代の斉明天皇が亡くなったのに7年間も即位しませんでした。

中大兄は『天皇になりたくなったのでは?』とも言われ、超絶慎重な性格だったとも言われる。

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第36代 孝徳天皇。日本で初めての元号・大化。最後は総スカン食らって孤独死

孝徳天皇 陵墓

孝徳天皇(こうとく)は、あの『大化の改新』をおこなった天皇です。日本で初めて元号を制定しました。『大化』。

でも、最後はみんなに嫌われて勝手に都を移されて、悲しみに暮れるなか孤独死します。

というか周りの人がヤバいと思うんですけど。

孝徳天皇は史上初の改元をした天皇でもあります。

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第35代 皇極天皇。古代最大の事件が目の前で起きて責任を取って辞める

emperor kogyoku(saimei) image

皇極天皇(こうぎょく)は、古代最大のアクシデントで自分から天皇を辞めてしまった人です。

自分から辞めたのは歴代天皇で初めてのことでした。これを譲位といいます。もちろん、天皇だった人が生きているのも初めて。

先代の舒明天皇の皇后で歴史の教科書に出てくる中大兄皇子の母。

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院政とは何だったのか?どうして『いんせい』というのか?なぜ上皇が出てきたのか?

Q&A image

院政は『いんせい』と読みます。

(上皇)の治』という意味で、藤原氏一強の摂関政治から天皇中心の政治システムに戻す流れの中で生まれました。

(天皇では心細いので必然と上皇がリーダーになる。)

実は、院政がなければ武家社会も生まれませんでした。どのようなものでしょうか?

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