土御門天皇(つちみかど)は承久の乱で流罪になった父・後鳥羽上皇を想って、自分から流罪にしてくれと鎌倉幕府に頼み込んだ人です。
最初は認めなかった幕府も、最後は根負けして受け入れることにしました。
のんきでやる気がない人だと言われますが、たくさん子どもがいました。いや、エネルギッシュじゃん。
続きを読む土御門天皇(つちみかど)は承久の乱で流罪になった父・後鳥羽上皇を想って、自分から流罪にしてくれと鎌倉幕府に頼み込んだ人です。
最初は認めなかった幕府も、最後は根負けして受け入れることにしました。
のんきでやる気がない人だと言われますが、たくさん子どもがいました。いや、エネルギッシュじゃん。
続きを読む文武両方に優れた才能を発揮した後鳥羽天皇(ごとば)。
しかし、鎌倉幕府の有力御家人に承久の乱で敗れ、島流しの刑を食らうという、歴代天皇の中でも例のない前代未聞の屈辱を味わいます。
この後も院政はつづきますが形式的で、積極的に政治を取り仕切る意味での院政は、後鳥羽上皇が最後です。
続きを読む日本の歴史上で官軍が賊軍にコテンパンにやられたのは承久の乱(じょうきゅうのらん)以外にありません。
後鳥羽、土御門、順徳の3人の上皇が島流しの刑にあい、仲恭天皇が退位させられる異例の結果となりました。
ここから幕府にとって、天皇が畏れ多い存在でなくなり気兼ねなく口出しできる存在になっていきます。
続きを読む高倉天皇(たかくら)は後白河法皇と平清盛の後ろ盾で即位しました。
当時最強の布陣だったでしょう。しかし、最強の2人が対立したため、どうしていいか分からず苦悩の日々を過ごすことになります。
早死したのはメンタルが絶えられなかったんじゃないかと思うほど。
続きを読む鎌倉幕府の不思議なところは、天皇がお飾り、将軍ですらお飾りにして、その部下たちが実質的な政権をコントロールしたところです。本来なら政治権力を握るはずのない人たちが権力者でした。
発言力があるなら上の立場になってもいいはずなのに、それは下のままで。これが意味不明。
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