ツイート
シェア
LINEで送る
B! はてぶでブックマーク
Pocketでブックマーク
RSSフィード

正一位, 従三位ってなんだ? 位階とか官職とか官位の細かなちがい。

大極殿

ご覧のページは 4 / 5 です。先頭ページはこちら。

鎌倉時代に位階と官職が家柄で固定される

平安時代にはすでに、藤原氏やその一部の摂関家、源氏など、ある程度家柄でもらえる官位は決まってました。

ただそれは慣習で、というか権力闘争に参加できる家柄と言うだけで、菅原道真(すがわら みちざね)のように、家柄がなくてもトップになれる可能性がありました。

それが鎌倉時代には完全に家柄によって官位が決まってきます。これを家格といいます。

家格では、

二位以上の左右大臣太政大臣摂政関白になる家、

公卿になって左大臣までなれる家、

公卿になれるけど大納言止まりの家、

四位・五位が限界だが殿上人になれる家、

公卿になれない家、

とグループ化されます。

殿上人・公卿になれる家を堂上家(どうじょうけ)、それ以外を地下家(じげけ)といいます。

なんか『パラサイト 半地下の家族』みたいでかわいそうですが。

同じ四位・五位でも、殿上人になれる家(堂上家)とそうじゃない家(地下家)に固定された。

藤原氏を見ていると分かりやすい。家格が確定するタイミングで藤原氏は『藤原』を名乗らなくなる。

藤原氏の中でも家格で分けられたから。

五摂家が完成するのも同じころ。五摂家は家格が決まる過程の一部と見ることもできる。

貴族の家格(かかく)

平安時代になると特定の家が要職を占めるようになる。

(主に藤原氏と天皇の子孫の源氏

鎌倉時代になると貴族のランクが家単位で固まった。それを家格という。

1摂関家
(せっかんけ)
摂政関白太政大臣になる。
五摂家。
すべて藤原北家の流れ。
2清華家
(せいがけ)
摂政・関白はなれないが、太政大臣になる道があった。

江戸時代には最高位が左大臣に下げられる。
(江戸時代に太政大臣は摂関だけに限定。)

三条(さんじょう)
西園寺(さいおんじ)
徳大寺(とくだいじ)
久我(こが)
花山院(かざんいん)
大炊御門(おおいのみかど)
菊亭・今出川(きくてい。または、いまでがわ)
の7家。

久我家は唯一、天皇の子孫の源氏の流れ。
村上源氏

ほかはすべて摂関家に食い込めなかった藤原氏北家。

江戸時代に広幡家(ひろはた)と醍醐家(だいご)を追加した。
広幡家は第106代 正親町天皇の子孫の正親町源氏
醍醐家は五摂家のひとつ一条家の分家。
3大臣家
(だいじんけ)
清華家の分家。
摂関家・清華家はなれない参議 -> 中納言とステップアップする家。
大納言・近衛大将を飛び越えて内大臣になる道もあった。
(まれに右大臣になる人もいた。)

太政大臣になることもできたが江戸時代に廃止。

正親町三条・嵯峨(おおぎまちさんじょう。のちにさが)
-> 三条家の分家。藤原氏。

三条西(さんじょうにし)
-> 正親町三条の分家。藤原氏。

中院(なかのいん)
-> 久我の分家。村上源氏。

の3家。
4羽林家
(うりんけ)
近衛少将・中将になる。
参議 -> 中納言 -> 大納言にステップアップする家。

軍事を担当する。
江戸時代には大名家に与えられた。

藤原北家: 51家(上位や同じ羽林家からの分家)
藤原南家: 4家
村上源氏: 8家(久我の分家)
宇多源氏: 3家

数がいきなり増える。また、藤原南家、宇多源氏など、上位に見られない系統もある。
4名家
(めいけ / めいか)
序列は羽林家と同じ。
最高位も同じで大納言
(例外で左大臣になる人もいた。)

天皇のお世話係の侍従・文書作成などの弁官から出世する。
羽林家は武門に対して名家は文官。

藤原北家: 25家
桓武平氏: 3家

平安末期にイケイケだった平家がひっそりと残る。
5半家
(はんけ)
大納言になった人がいるがほとんどが参議になってない。
(上流貴族でも政権中枢に入れない)

特殊技能を使って朝廷の仕事をした。

藤原北家: 2家
清和源氏: 1家
宇多源氏: 2家
花山源氏: 1家
桓武平氏: 2家
菅原氏(すがわら): 6家
清原氏(きよはら): 3家
大中臣氏(おおなかとみ): 1家
卜部氏(うらべ): 4家
安倍氏(あべ): 2家
丹波氏(たんば): 1家
大江氏(おおえ): 1家

いろいろな氏族が入っている。
菅原道真(すがわら の みちざね)の菅原氏、マイナーな源氏など。

清原氏は天皇の子孫。源氏よりも古く、飛鳥・奈良時代の天皇から分家した。

大中臣氏は藤原氏の祖先・中臣氏の流れ。藤原氏の本家筋。
古代から宮中祭祀を仕切る仕事をしてきた。

卜部氏は卜筮(ぼくぜい)という占い専門の集団。

安倍氏も天皇の子孫。第8代 孝元天皇の皇子・大彦命(おおひこ の みこと)の流れで天皇の子孫でもダントツに古い。
(神話の話で信憑性も薄い。)

安倍氏の系統・土御門家(つちみかどけ)は陰陽道を駆使した。
陰陽師・安倍晴明(あべ の せいめい)がいた家。

丹波氏は、第15代 応神天皇のころに来日した渡来系氏族の末裔。
坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)を出した坂上氏の分家。
医療技術(薬剤を含む)を駆使し多くの医者を出した。

大江氏は、古代からの氏族・土師氏(はじうじ)の分家と言われる。
土師氏は埴輪(はにわ)を開発した野見宿禰(のみ の すくね)から始まる土木技術を得意とした氏族。
(ちなみに、野見宿禰は日本最古の力士・相撲取りとも言われる。)

上流貴族にギリギリ入り込んだランクではあるが、氏族・得意分野のバリエーションが多く魅力的な集団。
堂上家

表の6つのカテゴリは堂上家(どうじょうけ)といい、天皇の住居兼オフィスの清涼殿(せいりょうでん)に入ることが許された貴族。

堂上家は太政官の政権中枢の役職(中納言・大納言・右大臣・左大臣)になれる貴族で公卿(くぎょう)ともいう。

堂上家に対して、昇殿を許されない貴族もいた(江戸時代には460家以上)。地下家(じげけ)という。

また、堂上家(公卿)じゃないのに昇殿が許された人を殿上人(てんじょうびと)という。

これらのカテゴリは貴族の位階で決まっていた。

正一位
従一位
正二位
従二位
正三位
従三位
堂上家無条件に清涼殿への出入りが許される。
政権中枢の人しかいない。

今でいうと、代々内閣の閣僚を務める家。
正四位上
正四位下
従四位上
従四位下
正五位上
正五位下
従五位上
従五位下
殿上人本来は清涼殿への出入りは許されないが、天皇が認めた者だけ許された。
実態は堂上家が認め天皇が追認。

この中には太政官以外の、国司や検非違使、六衛府の長官なども含まれる。

今でいうと、内閣府も含め各省庁の長官で天皇に謁見が許される人がいたということ。

正六位上
以下
地下家清涼殿への出入りが許されない。
位階と家柄

朝廷の官職は位階によって決まるので、自動的に家柄で役職が決まった。

位階と官職はリンクしているので2つセットで官位(かんい)という。

五摂家(ごせっけ)

平安時代の摂関政治では摂政・関白になれる家は決まっていた。それを摂関家(せっかんけ)という。

鎌倉時代以降、摂関家の中でさらに摂政・関白になれる家柄がしぼられた。その5家のことを五摂家という。

  • 近衛(このえ)
  • 九条(くじょう)
  • 二条(にじょう)
  • 一条(いちじょう)
  • 鷹司(たかつかさ)

くわしくは『摂関政治とは何か?』で。

五摂家は明治に入ってもつづき、華族制度ができてからは華族として位置づけられた。

1947年の華族制度の廃止まで、由緒ある家として知られていた。

次は 律令制は終わっても位階は今でも使ってる
前は 令外官
コメントを残す

*