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時代で見る

日本の歴史を時代ごとに見ていきます。なるべく時代ごとに切れてしまわないように、ひとつの流れに見えるようにしていこうと思います。

第83代 土御門天皇。いい人か?ただのスケベーか?占いで指名されて即位する。

土御門天皇肖像画

土御門天皇(つちみかど)は承久の乱で流罪になった父・後鳥羽上皇を想って、自分から流罪にしてくれと鎌倉幕府に頼み込んだ人です。

最初は認めなかった幕府も、最後は根負けして受け入れることにしました。

のんきでやる気がない人だと言われますが、たくさん子どもがいました。いや、エネルギッシュじゃん。

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第82代 後鳥羽天皇。部下の部下から島流しの刑を食らった天才

後鳥羽天皇の肖像画

文武両方に優れた才能を発揮した後鳥羽天皇(ごとば)。

しかし、鎌倉幕府の有力御家人に承久の乱で敗れ、島流しの刑を食らうという、歴代天皇の中でも例のない前代未聞の屈辱を味わいます。

この後も院政はつづきますが形式的で、積極的に政治を取り仕切る意味での院政は、後鳥羽上皇が最後です。

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承久の乱。官軍が賊軍にボコボコにされた唯一の出来事。武士が天皇を畏れなくなる瞬間。

鶴岡八幡宮

日本の歴史上で官軍が賊軍にコテンパンにやられたのは承久の乱(じょうきゅうのらん)以外にありません。

後鳥羽土御門順徳の3人の上皇が島流しの刑にあい、仲恭天皇が退位させられる異例の結果となりました。

ここから幕府にとって、天皇が畏れ多い存在でなくなり気兼ねなく口出しできる存在になっていきます。

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第81代 安徳天皇。平家待望の即位。しかし既に時遅し。平家といっしょに滅びる。

安徳天皇肖像画

平家待望の即位だった安徳天皇(あんとく)。しかし、流れは平家からはなれていました。時流に乗れなくて悲しい結末を迎えた天皇です。

歴代天皇の中で、権力闘争が原因で自殺した最後のケース。

平家の、平家による、平家のための天皇』だったので、平家の衰退に大きく左右されました。本人が意思表示をできないうちに命を落とします。

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鎌倉幕府成立は1192年に戻したほうが良い理由。いまや少数派になっちゃった話。

鎌倉大仏

いま学校で教える、日本史の鎌倉幕府の成立年は、正確には決められないそうです。一番多いのは1185年で、今まで教わってきた1192年は10%未満らしい。

これはおかしいです。かつての鎌倉幕府成立年の1192年にはちゃんと理由があります。ある人が1192年に死ななければ、どうなっていたか。

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第80代 高倉天皇。後白河法皇と平清盛が後見人。二人の対立でパニック!

高倉天皇肖像画

高倉天皇(たかくら)は後白河法皇と平清盛の後ろ盾で即位しました。

当時最強の布陣だったでしょう。しかし、最強の2人が対立したため、どうしていいか分からず苦悩の日々を過ごすことになります。

早死したのはメンタルが絶えられなかったんじゃないかと思うほど。

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