順徳天皇(じゅんとく)は、部下の部下から島流しの刑を食らった数少ない珍しい天皇です。
父・後鳥羽上皇の政治闘争に巻き込まれて失脚したので、もっとも不幸な天皇と言えます。
京都では後鳥羽上皇がいたので、天皇の在位中から上皇になっても、自らの力で政治を仕切ることはありませんでした。
続きを読む日本の歴史を天皇を中心にして見ていきます。天皇を中心に見ていくと、
なぜ、院政というシステムができたのか?
なぜ、武士という階級が生まれたのか?
なぜ、明治維新という近代化が短期間でできたのか?
がひとつにつながって見えてきます。
順徳天皇(じゅんとく)は、部下の部下から島流しの刑を食らった数少ない珍しい天皇です。
父・後鳥羽上皇の政治闘争に巻き込まれて失脚したので、もっとも不幸な天皇と言えます。
京都では後鳥羽上皇がいたので、天皇の在位中から上皇になっても、自らの力で政治を仕切ることはありませんでした。
続きを読む土御門天皇(つちみかど)は承久の乱で流罪になった父・後鳥羽上皇を想って、自分から流罪にしてくれと鎌倉幕府に頼み込んだ人です。
最初は認めなかった幕府も、最後は根負けして受け入れることにしました。
のんきでやる気がない人だと言われますが、たくさん子どもがいました。いや、エネルギッシュじゃん。
続きを読む文武両方に優れた才能を発揮した後鳥羽天皇(ごとば)。
しかし、鎌倉幕府の有力御家人に承久の乱で敗れ、島流しの刑を食らうという、歴代天皇の中でも例のない前代未聞の屈辱を味わいます。
この後も院政はつづきますが形式的で、積極的に政治を取り仕切る意味での院政は、後鳥羽上皇が最後です。
続きを読む日本の歴史上で官軍が賊軍にコテンパンにやられたのは承久の乱(じょうきゅうのらん)以外にありません。
後鳥羽、土御門、順徳の3人の上皇が島流しの刑にあい、仲恭天皇が退位させられる異例の結果となりました。
ここから幕府にとって、天皇が畏れ多い存在でなくなり気兼ねなく口出しできる存在になっていきます。
続きを読む平家待望の即位だった安徳天皇(あんとく)。しかし、流れは平家からはなれていました。時流に乗れなくて悲しい結末を迎えた天皇です。
歴代天皇の中で、権力闘争が原因で自殺した最後のケース。
『平家の、平家による、平家のための天皇』だったので、平家の衰退に大きく左右されました。本人が意思表示をできないうちに命を落とします。
続きを読むいま学校で教える、日本史の鎌倉幕府の成立年は、正確には決められないそうです。一番多いのは1185年で、今まで教わってきた1192年は10%未満らしい。
これはおかしいです。かつての鎌倉幕府成立年の1192年にはちゃんと理由があります。ある人が1192年に死ななければ、どうなっていたか。
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