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フェードアウト後の第1期源氏
摂関政治で藤原氏が政権中枢を占めていく中、それでも源氏の大量生産は止まりません。
一応、左大臣を出せるとこまではキープしますが、貴族以外で有名になっていく人も出てきます。
第1期の源氏といえば、貴族の源氏をキープし続けた村上源氏と、武士の生みの親の清和源氏でしょう。
このふたつはあとでくわしくするので、そのほかのマニアックなところを先にご紹介します。
中流貴族として生き残った堂上源氏
堂上源氏(どうがみげんじ)という呼び方はあまり聞かないと思います。堂上は都の清涼殿(せいりょうでん)に入ることが許された貴族のことで、その家を堂上家といいます。
藤原氏に押された源氏はこの堂上家としてたくさん生き残りました。
4 | 清和源氏 (せいわ) | 武士の源氏。 くわしくはあとで。 貴族では竹内家(たけうち)が残り、 明治維新後に華族になった。 ギリギリ堂上家のランクの半家。 |
5 | 陽成源氏 (ようぜい) | 多くの公卿を輩出する政治家一門だっ たが、これまでの源氏と比べ見劣りす る。 その後も目立った貴族、武士などはい ない。 |
6 | 光孝源氏 (こうこう) | 仏教彫刻の最大勢力になる。 くわしくはあとで。 |
7 | 宇多源氏 (うだ) | 最初は左大臣を出すなど政治家一門だ ったがフェードアウト。 鎌倉時代 庭田家(にわた):羽林家 綾小路家(あやのこうじ):羽林家 五辻家(いつつじ): 地下家だったが室町時代に半家になっ て堂上家になる。 室町時代 慈光寺家(じこうじ): 半家。五辻家から分家。 江戸時代 大原家(おおはら): 羽林家。江戸時代に庭田家から分家。 明治になると多くが華族になる。 佐々木氏など有力武士も多いが天下取 りを争うほどではない。 |
8 | 醍醐源氏 (だいご) | 最初は左大臣を出すなど政治家一門だ ったがフェードアウト。 その後、地下家で上流貴族になれてい ない。 地方に散らばり武士になった人も多い がメジャーではない。 |
9 | 村上源氏 (むらかみ) | 貴族の源氏の最大勢力。 くわしくはあとで。 |
10 | 冷泉源氏 (れいぜい) | 作られた当初から存在感がない。 本当にあったのか? と思うほど。 |
11 | 花山源氏 (かざん) | ギリギリ上流貴族の半家に白川伯王家 (しらかわはくおう)が残っただけ。 1家で頑張ってきたが昭和になって断 絶した。 |
12 | 三条源氏 (さんじょう) | 貴族では最初からパッとしない。 僧侶や天皇の妻などになり目立たない 。 |
貴族の家格(かかく)
平安時代になると特定の家が要職を占めるようになる。
鎌倉時代になると貴族のランクが家単位で固まった。それを家格という。
1 | 摂関家 (せっかんけ) | 摂政、関白、太政大臣になる。 五摂家。 すべて藤原北家の流れ。 |
2 | 清華家 (せいがけ) | 摂政・関白はなれないが、太政大臣になる道があった。 江戸時代には最高位が左大臣に下げられる。 (江戸時代に太政大臣は摂関だけに限定。) 三条(さんじょう) 西園寺(さいおんじ) 徳大寺(とくだいじ) 久我(こが) 花山院(かざんいん) 大炊御門(おおいのみかど) 菊亭・今出川(きくてい。または、いまでがわ) の7家。 久我家は唯一、天皇の子孫の源氏の流れ。 (村上源氏) ほかはすべて摂関家に食い込めなかった藤原氏北家。 江戸時代に広幡家(ひろはた)と醍醐家(だいご)を追加した。 広幡家は第106代 正親町天皇の子孫の正親町源氏。 醍醐家は五摂家のひとつ一条家の分家。 |
3 | 大臣家 (だいじんけ) | 清華家の分家。 摂関家・清華家はなれない参議 -> 中納言とステップアップする家。 大納言・近衛大将を飛び越えて内大臣になる道もあった。 (まれに右大臣になる人もいた。) 太政大臣になることもできたが江戸時代に廃止。 正親町三条・嵯峨(おおぎまちさんじょう。のちにさが) -> 三条家の分家。藤原氏。 三条西(さんじょうにし) -> 正親町三条の分家。藤原氏。 中院(なかのいん) -> 久我の分家。村上源氏。 の3家。 |
4 | 羽林家 (うりんけ) | 近衛少将・中将になる。 参議 -> 中納言 -> 大納言にステップアップする家。 軍事を担当する。 江戸時代には大名家に与えられた。 藤原北家: 51家(上位や同じ羽林家からの分家) 藤原南家: 4家 村上源氏: 8家(久我の分家) 宇多源氏: 3家 数がいきなり増える。また、藤原南家、宇多源氏など、上位に見られない系統もある。 |
4 | 名家 (めいけ / めいか) | 序列は羽林家と同じ。 最高位も同じで大納言。 (例外で左大臣になる人もいた。) 天皇のお世話係の侍従・文書作成などの弁官から出世する。 羽林家は武門に対して名家は文官。 藤原北家: 25家 桓武平氏: 3家 平安末期にイケイケだった平家がひっそりと残る。 |
5 | 半家 (はんけ) | 大納言になった人がいるがほとんどが参議になってない。 (上流貴族でも政権中枢に入れない) 特殊技能を使って朝廷の仕事をした。 藤原北家: 2家 清和源氏: 1家 宇多源氏: 2家 花山源氏: 1家 桓武平氏: 2家 菅原氏(すがわら): 6家 清原氏(きよはら): 3家 大中臣氏(おおなかとみ): 1家 卜部氏(うらべ): 4家 安倍氏(あべ): 2家 丹波氏(たんば): 1家 大江氏(おおえ): 1家 いろいろな氏族が入っている。 菅原道真(すがわら の みちざね)の菅原氏、マイナーな源氏など。 清原氏は天皇の子孫。源氏よりも古く、飛鳥・奈良時代の天皇から分家した。 大中臣氏は藤原氏の祖先・中臣氏の流れ。藤原氏の本家筋。 古代から宮中祭祀を仕切る仕事をしてきた。 卜部氏は卜筮(ぼくぜい)という占い専門の集団。 安倍氏も天皇の子孫。第8代 孝元天皇の皇子・大彦命(おおひこ の みこと)の流れで天皇の子孫でもダントツに古い。 (神話の話で信憑性も薄い。) 安倍氏の系統・土御門家(つちみかどけ)は陰陽道を駆使した。 陰陽師・安倍晴明(あべ の せいめい)がいた家。 丹波氏は、第15代 応神天皇のころに来日した渡来系氏族の末裔。 坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)を出した坂上氏の分家。 医療技術(薬剤を含む)を駆使し多くの医者を出した。 大江氏は、古代からの氏族・土師氏(はじうじ)の分家と言われる。 土師氏は埴輪(はにわ)を開発した野見宿禰(のみ の すくね)から始まる土木技術を得意とした氏族。 (ちなみに、野見宿禰は日本最古の力士・相撲取りとも言われる。) 上流貴族にギリギリ入り込んだランクではあるが、氏族・得意分野のバリエーションが多く魅力的な集団。 |
表の6つのカテゴリは堂上家(どうじょうけ)といい、天皇の住居兼オフィスの清涼殿(せいりょうでん)に入ることが許された貴族。
堂上家は太政官の政権中枢の役職(中納言・大納言・右大臣・左大臣)になれる貴族で公卿(くぎょう)ともいう。
堂上家に対して、昇殿を許されない貴族もいた(江戸時代には460家以上)。地下家(じげけ)という。
また、堂上家(公卿)じゃないのに昇殿が許された人を殿上人(てんじょうびと)という。
これらのカテゴリは貴族の位階で決まっていた。
正一位 従一位 正二位 従二位 正三位 従三位 | 堂上家 | 無条件に清涼殿への出入りが許される。 政権中枢の人しかいない。 今でいうと、代々内閣の閣僚を務める家。 |
正四位上 正四位下 従四位上 従四位下 正五位上 正五位下 従五位上 従五位下 | 殿上人 | 本来は清涼殿への出入りは許されないが、天皇が認めた者だけ許された。 実態は堂上家が認め天皇が追認。 この中には太政官以外の、国司や検非違使、六衛府の長官なども含まれる。 今でいうと、内閣府も含め各省庁の長官で天皇に謁見が許される人がいたということ。 |
正六位上 以下 | 地下家 | 清涼殿への出入りが許されない。 |
朝廷の官職は位階によって決まるので、自動的に家柄で役職が決まった。
位階と官職はリンクしているので2つセットで官位(かんい)という。
五摂家(ごせっけ)
平安時代の摂関政治では摂政・関白になれる家は決まっていた。それを摂関家(せっかんけ)という。
鎌倉時代以降、摂関家の中でさらに摂政・関白になれる家柄がしぼられた。その5家のことを五摂家という。
- 近衛(このえ)
- 九条(くじょう)
- 二条(にじょう)
- 一条(いちじょう)
- 鷹司(たかつかさ)
くわしくは『摂関政治とは何か?』で。
五摂家は明治に入ってもつづき、華族制度ができてからは華族として位置づけられた。
1947年の華族制度の廃止まで、由緒ある家として知られていた。
日本彫刻の最大流派は源氏
アートの分野で功績を残した源氏もいます。光孝源氏です。
最初はほかの源氏と同じように中納言を出すなどの政治家一門でしたがフェードアウトしました。
そして行った先が彫刻の世界。康尚(こうしょう)が仏師になり日本仏教彫刻の最大勢力、慶派(けいは)を作ります。
鎌倉時代の有名な彫刻家、運慶・湛慶(うんけい・たんけい)もその子孫。その他、数々の天才彫刻家は数知れず。慶派は幕末の動乱まで仏師の主流でした。
(日本の彫刻界の中心だったと言ってもいい。)
ボクは源氏の中でこの流派が一番好きです。意外性といい、ぶっ飛んだ功績といい。
異彩の光孝源氏。天皇まで出す。
光孝源氏はアートだけじゃありません。第59代 宇多天皇は元・光孝源氏です。
源定省(みなもと の さだみ)を名乗り、父・光孝天皇の側で政治家になっていましたが、たった3年で皇族に戻り皇太子になって天皇になりました。
それだけじゃありません。宇多天皇の息子・第60代 醍醐天皇は生まれたとき光孝源氏でした。
父といっしょに皇族に戻り天皇にまでなります。
光孝天皇は天皇になるはずじゃなかったので、宮中でも無視されナメられていたほどで、55才になって即位した珍しい天皇。
どうやら光孝天皇のメンタルのDNAは源氏になっても受け継がれたようです。
光孝天皇、醍醐天皇の親子は天皇親政をした。もともと源氏だったので藤原氏の摂政がいなかったから。
- P1 源氏だけじゃない天皇の子孫の氏族
- P2 源氏は何天皇の子孫?
- P3 第1期 左大臣を送り込む貴族の一大勢力
- P4 フェードアウト後の第1期源氏
- P5 貴族の面目を保った村上源氏
- P6 真打ち登場。武士の源氏(清和源氏)
- P7 河内源氏(かわちげんじ)って何だ?
- P8 源氏はヤンキー気質
- P9 フェードアウト後の第1期のつづき
- P10 第2期 幕府の都合で源氏になる