『三種の神器』(さんしゅのじんぎ)は天皇が皇位を継承するときに引きつぐ3つの道具です。
令和になるときも宮内庁の人が大事そうに箱をもって歩いていました。聞いてはいるけどイマイチ分からないもののひとつです。
『テレビ・冷蔵庫・洗濯機』のことではないです。
(これも古すぎて分からないか...)
三種の神器は鏡・玉・剣
八咫鏡 (やたのかがみ) | |
八尺瓊勾玉 (やさかにのまがたま) | |
草薙剣 (くさなぎのつるぎ) |
三種の神器は、天皇が皇位を継承するときに受けつぐ3つの道具です。御璽(みしるし)ともいいます。天皇の証しですね?
鏡(かがみ)
玉(たま。ぎょく)
剣(つるぎ。けん)
だと思います。あとで説明するのでここはスルーしてください。
『神器』(じんぎ)は、カミから受けついだ道具のこと。
目に見えないものから道具を受けつぐってどういうことでしょう? これもあとで説明します。とりあえずスルーしてください。
神器は3か所に分散している
三種の神器は日本のあるところに大事に置かれています。
イメージ | 神器 | 実物 | 形代(かたしろ) |
---|---|---|---|
八咫鏡 | 伊勢神宮・内宮 (三重) | 皇居・宮中三殿の賢所 (きゅうちゅうさんでん, かしどころ) (東京) | |
八尺瓊勾玉 | 皇居・剣爾の間 (けんじのま) | - | |
草薙剣 | 熱田神宮 (愛知) | 皇居・剣爾の間 |
形代はレプリカといわれがちですが、ちょっとちがいます。コピーですがニセモノではありません。実物と同じ効力・価値があります。
三種の神器は、実物・形代のどれも実体を見た人はだれもいません。天皇でさえ見ることができません。
過去には見た人がいたようですが、病気になった、箱から白い煙が出たなど、不吉なことが起きたようです。
事実というより霊現象体験のエピソードに近い。
玉(勾玉)のことを爾(じ。しるし)ともいう。
『剣爾の間』は名前のとおりで、皇居の中にある剣と玉を置くための部屋。天皇陛下の寝室のとなりにあるそう。
宮内庁のHPを確認したが載っていなかった。セキュリティ上マズいんだろう。
いくら公人でもプライベート空間までは出しちゃダメでしょ、ということなんだと思う。
神道はコピーできてぜんぶ本物
神道では神さまを分霊できます。
といって神社の住人(神さま)を呼び寄せます。勧請(かんじょう)といいます。
このとき、複数の神社に1柱の神さまを呼ぶことができて、神さまは呼ばれた数だけ分身が作れます。分霊(ぶんれい)といいます。
神さまは、ひとり、ふたりと数えない。柱(はしら。ばしら)を使う。
分身はコピーだけど本物です。形代も同じ。仏像やキリスト像とはちがうことに注意しないといけません。
キリスト教の像は、目に見えないGodをどうやって拝んでいいか分からないので見えるようにします。プロジェクターみたいなものですね?
神さまみたいにコピーしません。Godはひとつです。
神道 | 神さま -> 神さまのコピー -> 神さまに直接拝む |
キリスト教 | God -> 像 -> 像をとおして間接的にGodに祈る。 像もGodそのものではなく、キリストやマリアなど 実在の人物を模していて、その人を通してGodを見る。 |
仏教は何かを拝むのではなく悟りを開くために頑張る宗教。仏像は頑張った結果を表現していて目に見えるようにしている。
如来 (にょらい) | 悟りを開いた状態。最終ゴール。 |
菩薩 (ぼさつ) | 悟りを開く直前の状態。ゴールの一歩手前。 |
これより下のランクもあるが、それらはランクというより役割でワケが分からなくなるので、このへんでやめとく。
ちなみに、お地蔵さんは菩薩。以外にランクが高い。
実物は同じところにない
三種の神器は実物と形代のセットだと天皇の近くにすべてそろっています。
鏡 | 形代 |
玉 | 本物 |
剣 | 形代 |
でも、実物だけを見るとバラバラ。
鏡 | 伊勢神宮(三重) |
玉 | 皇居(東京) |
剣 | 熱田神宮(愛知) |
なんでバラバラなのか? 根拠は神話にあります。というか、三種の神器は神話の世界でしか説明できません。
ひとつずつ見ていきましょう。
鏡・八咫鏡(やたのかがみ)
八咫鏡は天照大神(アマテラス)のご神体です。伊勢神宮の内宮にアマテラスをまつっていますが、そこにあるのが八咫鏡。
(ご神体はカミが宿るモノ。八咫鏡はアマテラスの魂が宿っている。)
鏡はご神体なので三種の神器のなかでも別格です。動かせません。だから形代が作られ皇居にあります。
形代はいくつも作ろうと思えばできますが、三種の神器は天皇だけがもてるので一つしかありません。
たとえば皇居が焼失してなくなってしまったら、内宮の本物から新しく形代を作ることはあるでしょう。
ほとんどありえないことですが。というか、こんなこと書くこと自体不謹慎だし、緊急時には真っ先に持ち出すはずだから。
カミの神話の基礎知識
八咫鏡は天上界のカミの神話から生まれました。まずは神器の説明の前にちょっとした基礎知識から。
神話の世界は神々の物語からはじまります。細かいことはスルーしてポイントだけ行きましょう。
神々の世界には夫婦のカミがいました。伊邪那岐命(いざなぎ の みこと。男)と伊邪那美命(いざなみ の みこと。女)。
この夫婦が地上に降りてたくさんの子どもたちを産みました。その子どもたちは、日本列島の島々、自然の万物、地上の神々(国津神)など。
この夫婦は人間を生んだんじゃなく、また、神通力ではなくSEXして妊娠して生みました。
キリスト教では、God(The Creater)ひとつから人間も含め万物を作ったが、神道では神さまに『作る』能力はない。
SEXして万物が生まれる。
目を洗ったらカミが生まれる。(禊)
カミを殺したら多くのカミが生まれる。
etc...
人間がふだん行なうような行動から何かが生まれる。そこに善悪の区別はない。
(そこが人間臭い。人間とは?の哲学が入ってる。)
神さまがブリっと漏らしたウンコや小便から生まれたカミもいるくらい。
日本ではそれくらい、だれでも見に覚えのある現象を新たな命の誕生に使う。
そして、死んだ妻を連れ戻すために行った黄泉の国(あの世)から戻ったイザナギの禊から生まれたのが3柱のカミです。
天照大神 (あまてらす おおみかみ。女) | 天高原(天上界)を治めるカミ。 (昼の世界も) 太陽神。 |
月読命 (つきよみ の みこと。性別不明) | 月の世界(夜の世界)を治めるカミ。 |
須佐之男命 (すさのお の みこと。男) | 海の世界を治めるカミ。 |
黄泉の国(死後の世界)から戻ったイザナギは、穢れ(けがれ)を落とすために水で体を洗い流した。
最後に、左目を洗うとアマテラスが、右目を洗うとツキヨミが、鼻を洗うとスサノオが生まれる。
古事記より
神さまの世界は住み分けられていました。あと地下の世界もあります。
イザナギ・イザナミ夫婦が土地を用意して、人間生活に必要なものを作り上げた。
(まだ人は登場しない。生活していたのは神々。)
神々は大きく2つに分かれます。天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)。
天神地祇(あまつかみくにつかみ)
日本のカミは大きく天界のカミと地上(国土)のカミに分かれる。
天のカミ | あまつかみ。 てんじん。 | 天津神。 天神。 天上界で生まれたカミ。 |
地のカミ | くにつかみ。 ちぎ。 | 国津神。 地祇。 地上界で生まれたカミ。 |
天のカミの代表はアマテラス(天照大神)。地のカミの代表はオオクニヌシ(大国主大神)。
アマテラスは伊勢神宮の内宮、オオクニヌシは出雲大社に祀られている。
オオクニヌシの先祖はスサノオで、アマテラスとスサノオは姉弟。
ふたりはケンカ別れをしているので天津神と国津神は系統がちがう。
この分別は、日本列島に国が作られていく過程と関係が深く、天津神は天皇とそのまわりの氏族、国津神はそれぞれの地域で独立していた豪族をあらわす。
天津神の子孫、初代・神武天皇は、国津神の子孫の豪族たちを味方につけながら、戦争して討伐しながら天下統一を目指し、ヤマト(奈良)に都を作った。
カミの問題児・スサノオ
もう少し、神さまの基本編です。
生まれたスサノオは泣きわめくだけで海の世界を治めようとしません。おかげで海は荒れるわ、悪いカミはでてくるわ、疫病が流行って最悪でした。
(スサノオは母・イザナミに会いたくて黄泉の国に行きたがっていた。)
父・イザナギは怒って追い出します。スサノオは、姉ちゃん・アマテラスを頼って天上界に行くことにしました。
しかしアマテラスは、天上界を荒そうとしていると勘違いして武装して待ちかまえます。
(そのあといろいろあるが省略。)
スサノオはウサ晴らしに天上界でイタズラをしまくりました。勢いあまって機織り係の女神を殺したりもした。
アマテラスは弟をコントロールできなかったことにショックを受けました。
鏡と玉は有名な神話で作られた
神話の基本編はおわりです。三種の神器のポイントは『天の岩屋戸』(あめのいわやど)神話なので、それまでをプレーバックしました。
長かったですか? スイマセン。ここから本題です。
ショックを受けたアマテラスは、岩穴に引きこもって入口をふさぎました。すると天上界が闇につつまれます。
(日食を表現しているともいわれる。)
神々は祭りをする準備をします。
伊斯許理度売命(いしこりどめ の みこと。女)は鏡を作りました。
玉祖命(たま の おや の みこと。男)は玉を作りました。
そしてドンチャン騒ぎをはじめます。
そういって鏡を岩穴のほうに向けました。するとアマテラスは、鏡に映った自分をエラい神さまだと思って少しだけ顔を出します。
アマテラスは引っぱり出されました。世界は明るくなり平和になります。
天の岩屋戸の神話で2つの神器が作られた。
(鏡と玉)
八咫鏡はいつから伊勢神宮にあるのか?
もともと八咫鏡は、天皇が手元に置いてアマテラスを祀っていました。しかし第10代 崇神天皇が、いつもそばで見つめられるアマテラスにビビって笠縫邑(かさぬいのむら)に移します。
(奈良県桜井市の近く。檜原神社(ひばらじんじゃ)や多神社(おおじんじゃ)ではないかと言われている。)
そして第11代 垂仁天皇のとき、垂仁天皇の娘・倭姫命(やまとひめ の みこと)に新たな祀る場所を探させました。
倭姫は五十鈴川(いすずがわ)のほとりに祠(ほこら)をつくって祀ります。これが伊勢神宮のはじまり。
紀元前から1世紀にかけてのことだと考えられています。それからずーっと、八咫鏡は伊勢神宮に奉られています。2000年くらい。
斎王(さいおう)
伊勢神宮の祭主。
第11代 垂仁天皇が娘・倭姫命(やまとひめ の みこと)にアマテラスを祀る場所を探させ、そこに伊勢神宮を創建した。
そしてそのまま倭姫が斎王になったところから始まる。
そこから代々、女性皇族が祭主を務めた。
第33代 推古天皇のころから明治維新まで代々・中臣氏が祭主を務めるようになるが、中臣氏の祭主とは別に内親王が斎王になった。
(この間、内親王の斎王が途切れずに引き継いでいたかは分からない。)
昭和22年以降、内親王(天皇の娘や女性子孫)が祭主を務めるように復活。
普通、神社のトップは宮司(ぐうじ)だが、伊勢神宮だけは唯一、大宮司(だいぐうじ)という。
これが今でも続く。今は天皇陛下の妹・黒田清子さま。
今の神宮は、大宮司とのツートップ体制で、斎王は『伊勢神宮祭主』という。
また平安時代以降には斎宮(さいぐう)とも呼ばれた。斎王・斎宮はどちらも『いつきのみこ』とも読む。
女性が務めるので巫女(みこ)のトップという意味。
伊勢神宮は八咫鏡(アマテラス)を祀るために作られた。
形代はいつからあるのか?
八咫鏡はご神体と皇居の形代のふたつがあり、形代は崇神天皇が別のところに移したので自分のそばに置いたと考えられます。
それがいまでも受けつがれていることになっています。本当のところは分かりません。新しく形代を作り直したという話はありませんが。
平安時代に何度か火事にあい、灰になっているともいわれますが、じっさいはどうなっているのか...
だれも見たことがないので。
伊勢のご神体も焼けて灰になっているとも言われるが本当のところは分からない。
だれも見たことがないので。(しつこい?)
もちろん、ご神体を作り直したという話はない。一応、ご神体もずーっと同じものが奉られていることになっている。
八咫鏡の形代は崇神天皇のころに作られ、いまでも受けつがれている。(はず。)
玉・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
玉(勾玉)は、天の岩屋戸神話で鏡といっしょに作られました。
玉はどういうものなのか、いまだに分かっていません。有力な説では、祭祀などで使うアクセサリーのようなものだったと言われます。
形代はありません。ずーっと実物が天皇のそばにあります。
第81代 安徳天皇のとき、源平合戦で負けた平清盛の妻・二位尼(にいのあま)が剣といっしょに腰に巻いて海に沈みましたが引き上げられました。
(玉を入れた箱が浮いてきたと言われている。)
これも同じものが引きつがれていることになっています。本当のところは分かりません。
だれも見たことがないので。
八尺瓊勾玉は、いつも天皇の近くにあったので実物だけ。
形代を作る必要がなかった。
剣・草薙剣(くさなぎのつるぎ)
あとは剣です。剣だけは別の神話にあります。問題児・スサノオの出雲神話。
岩穴から引っぱり出されたアマテラスは弟を天上界から追放します。スサノオはへこんだまま地上界に降りて出雲(いずも。島根)にたどり着きました。
(追放されるとき爪をはがされて、かなりの拷問を受けていた。姉ちゃんコワイ。)
ここで、若い娘をかっさらう八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の話を聞き退治することになります。
ヤマタノオロチは8つの頭と8つの尻尾をもつ大きなヘビの怪物
そこでなんとか退治して尻尾を切り落としたら、オロチの中から大剣が出てきました。これが草薙剣。
スサノオは天上界のアマテラスに剣を献上します。『姉ちゃん、許してちょ。』だったのでしょう。
こうして三種の神器はすべてアマテラスの元にそろいました。
もともと剣は伊勢神宮にあった
草薙剣は伊勢神宮の祭主が管理していました。第12代 景行天皇のときは、景行天皇の妹・倭姫命が伊勢神宮の祭主です。
前に出てきましたね? 伊勢神宮の場所を探した人です。草薙剣は八咫鏡を伊勢に移したときにいっしょに運ばれたのでしょう。
景行天皇には双子の息子がいました。弟が有名な日本武尊(やまとたける の みこと)。
景行天皇は、ヤマトタケルに南九州の豪族・熊襲(くまそ)討伐を命令して、それが終わるとヒマを与えずに東国の豪族・蝦夷(えみし)討伐を命令しました。
ヤマトタケルは、父にけむたがられているのがショックで、旅のついでに伊勢の叔母さんのところにグチを言いにやってきます。
熱田神宮にあるのはヤマトタケルのおかげ
グチりにきた甥っ子がかわいそうに思ったのか、倭姫は霊剣の草薙剣をもたせました。
さすが霊剣で、ヤマトタケルはその力で東国の豪族や反抗する神々をけちらします。
静岡の焼津(やいず)は、ヤマトタケルが草薙の剣を一閃したら、大きな炎が出てきて敵を一掃したところから地名になっている。
(という説がある。)
このように、東海、関東地方にはヤマトタケルの遠征神話から付けられた地名が結構ある。
またヤマトタケルは、尾張(愛知)で宮簀媛(みやずひめ)という娘と結婚の約束をしていました。東国を制圧して尾張に戻り結婚します。
ここでヤマトタケルは失敗します。嫁にカッコいいところを見せたかったのか、イキったのか、伊吹山(滋賀)への遠征に草薙剣をもたず、嫁のところに置いて行きました。
そして伊吹山のカミのたたりにあって引き返し、そのままヤマト(奈良)へ戻る途中で亡くなってしまいました。
(なんで嫁を置いてヤマトに帰ろうとしたのか? 最初から現地妻のつもりだった?)
嫁・宮簀媛は、ヤマトタケルを弔うために熱田に神社をたてて、草薙剣を奉ります。これが熱田神宮のはじまりで、今でもつづいています。
宮簀媛は尾張の国造の娘だと言われる。
国造と県主(くにのみやつこ。あがたぬし)
第13代 成務天皇の時代に作られたといわれる。日本ではじめて作られた地方の行政組織。(当時はヤマト王権)
国造 | 県知事。地方裁判所の最高判事。県警本部長。 |
県主 | 市長。 ヤマト周辺では王権の直轄地の長。 |
ヤマト王権から派遣する、もともと地方にいた豪族や集落の長を任命するなど、ケースバイケースで決めていた。
都道府県、市区町村のような地方の区割りもできた。
国 (くに) | 都道府県 |
県 (あがた) | 市区 ヤマト周辺は王権の直轄地 |
邑里 (むら) | 町村 |
山や川で国と県を分け、東西南北の道で集落を邑里にまとめた。もともとの豪族の領域、集落などを分断したものではない。
(ある程度はあっただろうが。)
形代は2代目
草薙剣にも形代があります。鏡といっしょに伊勢に移ったときに剣の形代もつくったのでしょう。
いまは皇居の剣爾の間に奉られていますが、それは2代目。
第81代 安徳天皇のとき、二位尼が腰に巻いて海に沈んで玉は回収されましたが、剣は回収できませんでした。
そこで伊勢神宮から献上されたものを新たに形代としました。いまでも瀬戸内海の底には初代・草薙剣(形代)があるのでしょう。
いちおう2代目ということになっている。
もちろんだれも見たことはない。
草薙剣はもともと八咫鏡といっしょに伊勢にあった。
ヤマトタケルの東国遠征に使われて、熱田神宮を作ったときにそこに奉られる。
形代は一度海の底に沈んで無くなったので、いまは2代目。
神器の継承の意味も神話にある
どうして神器はバラバラにあるのか、形代があるのかは分かりました。でももうひとつ疑問があります。
三種の神器がどうして『天皇の証し』になったのか、ですね?
これも神話の世界でしか説明できません。
アマテラスが地上界の統治をぶんどる
スサノオを追い出した天上界は平和でした。そして地上界も、スサノオの子孫・大国主命(おおくにぬし の みこと)が出雲を統治して平和でした。
オオクニヌシは出雲大社のカミ。(縁結びのカミ)
でもアマテラスは気に食わない。スサノオの子孫よりも自分の子孫の方が地上を統治するのにふさわしいと。
地上界は国津神がそれぞれ独立してまとまっていないじゃないかとイチャモンをつけ、地上界をまとめるリーダーを天上界から派遣することにしました。
最初はアマテラスの息子を派遣するが失敗。結局3人派遣して失敗する。
4回目の派遣で成功。オオクニヌシから地上界の統治権をゆずり受ける(国譲りの神話)
これはこれで面白いが話が長くなりすぎるので省略。
アマテラスはスサノオを武装して待ち構えたり、地上は自分のもんだと言ったり、かなりのオラオラです。
暴走族レディースの総長に見える。
天皇の正統性は天孫降臨神話
準備が整ったところで、アマテラスの孫・瓊瓊杵尊(ににぎ の みこと)を地上界に送り込みます。(天孫降臨(てんそんこうりん)神話)
5人のお供をつけます。(五伴緒神(いつとも の お の かみ))
天児屋命 (あめ の こやね の みこと) | 天の岩屋戸神話で、お祭りのとき祝詞(のりと )を読んで、アマテラスに鏡を向けた。 中臣氏(藤原氏)の祖先。 |
布刀玉命 (ふとだま の みこと) | 天の岩屋戸神話で、アマテラスに鏡を向けた。 |
天宇受売命 (あめのうずめ) | 天の岩屋戸神話で、アマテラスをおびき出す舞 を踊った。 |
伊斯許理度売命 (いしこりどめ の みこと) | 八咫鏡を作った。 |
玉祖命 (たま の おや の みこと) | 八尺瓊勾玉を作った。 |
また日本書紀では、
とまで言いました。(天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく))
これが『三種の神器が天皇の証し』『天皇が三種の神器を継承する理由』です。
天皇、皇統の正当性の理由はこれがすべて。
ニニギノミコトのひ孫が初代・神武天皇。
日本人はカミと自分がつながっている。天皇の祖先、藤原氏の祖先もカミ。
『死んだらみんな神さま、仏さま』と考える日本人の思想が古事記・日本書紀で表現されている。
古事記と日本書紀(こじき。にほんしょき)
第40代 天武天皇が号令をかけて作った国家の歴史書。ふたつあわせて記紀(きき)いう。
それ以前の歴史書は、焼失や理由の分からない消失でいまは存在しない。
天武天皇の息子・川島皇子(かわしま の みこ)、忍壁皇子(おさかべ の みこ)が編集長になり作業をはじめた。
そのときにまとめたのが帝紀と旧辞と言われる。
帝紀と旧辞
帝紀 (ていき) | 天皇の系譜、功績をまとめたもの。 |
旧辞 (きゅうじ) | 各氏族の系譜をまとめたもの。 氏族や民など、いろいろな人々に伝わる伝承をまとめた。 日本書紀に出てくる『上古諸事』は旧辞を指すとも。 |
帝紀と旧辞は一体だったとも言われはっきりせず、ふたつとも現存しない。
当時、重要な情報は覚えて口伝えする職業(誦習者。しょうしゅうしゃ)があり、稗田阿礼(ひえだ の あれい)が帝紀・旧辞を覚えた。
帝紀と旧辞が古事記と日本書紀の基本資料になり、飛鳥時代以前の歴史は、古事記、日本書紀にたよる。
古事記(こじき。ふことふみ)
帝紀・旧辞を稗田阿礼に誦習させたが、天武天皇が亡くなると作業が中断した。
712年(和銅5)、第43代 元明天皇のとき、太安万侶(おお の やすまろ)が阿礼の記憶、帝紀・旧辞から文字起こしして書物にまとめたのが古事記。
20年以上の中断があり完成に30年以上かかった。
(阿礼は、帝紀・旧辞だけでなく、無くなっていた数々の歴史書も覚えていた暗記の天才と言われる。)
日本書紀(にほんしょき)
完成は古事記よりもおそく、720年(養老4)、第44代 元正天皇のころに完成。
中断していたのか?たんに時間がかかったのか? 完成までの経緯はよく分かっていない。
天武天皇の息子・舎人皇子(とねり の みこ)が編集長。
古事記 | 倭語を漢字にあてた。 『夜露死苦』(よろしく)みたいに。 国内向け。 国家統一に利用するためか? |
日本書紀 | 漢字で書かれた。 (中国人でも読める。) 国外向け。 世界に日本をアピールするために利用か? |
知った風なことを言う人には
ほんとうにあるかどうか分からないんでしょ?
神話ってつくり話でしょ?
意味あるの?
と、『オレは分かっている』風にいう人がいます。インテリ層に多い気がします。
平成から令和に替わるときにも、テレビで言うコメンテーターがいました。世間には博識だと思われている人です。
ただこのセリフ、日本人の感性を無視しています。
いまの世の中、大人になれば数字などのエビデンス(証拠・根拠)がとても大事です。ビジネスはとくに。
そういう世界で優秀な人ほどいつもの調子で言っちゃうんですね? 自信があるだけに。
ただ、それにはこう反論しましょう。
初詣なんか意味ないって思いますか?
フィクション・不明なものを受け入れるのも大事
三種の神器の継承も『儀式』です。日本人を安心させるものです。天皇が日本の象徴にふさわしくなるための覚悟の儀式と言ってもいいでしょう。
神器があるかどうかじゃなくて、『ある体』にすることに意味があります。
ぼくも大した知識じゃないですがそれくらい分かります。日本人の感性があれば、だれでも分かります。
あるのか?とか、つくり話だからとか言いだす人は、ただただ野暮ったい人。
天皇も政府もフィクションを認めている
昭和天皇まで、天皇の行くところ玉と剣はいっしょに動く決まりでした。帯同するのは形代です。
1945年の敗戦後、天皇が日本各地を訪問する回数が大幅に増えたので、『いつも帯同』はなくなります。
でも、天皇陛下が伊勢に参拝するとか京都御所にいくなど、重要な祭祀を行うときはいまでも帯同します。
天皇陛下が新幹線に乗り込む映像などには、陛下の後ろに大事そうに箱を抱えた職員が映るので、だれでも一度は目にしています。
ほんの少しの知識がなく気づいていないだけ。今どき、神話を教える小・中・高校はほとんどないので仕方がないですが。
『三種の神器の根拠は神話』は政府見解
三種の神器の存在、その由来は神話にあることは正式な政府見解にもなっています。
昭和35年に『伊勢にある鏡は神社のものか?国家のものか?』という話しが出たとき、
という答弁があります。これは、いまでも否定されていません。神話のカミの時代を『事実』としている不思議な話です。
ちなみに、三種の神器が代々天皇に受け継がれていたのが初めて分かるのは、第19代 允恭天皇のとき。
質問の内容
この答弁に対する質問は、八咫鏡は大事なものなのにだれの所有かをはっきりしないのは、現代の法に照らせば心もとない、良くないというところから出てきたらしい。
質問者の衆議院議員・濱地文平(はまべ ぶんぺい)は三重・南伊勢町の出身で、皇学館大学の理事長もつとめた神道に造詣が深い人だった。
国会答弁書の訳
昔の言葉ですが、読めばなんとなく分かります。一応、今風の訳を書いときます。
(昔風な上に、答えてるようで答えていない官僚言葉で読みづらい。)
その1。
伊勢の神宮に祀られている鏡は、アマテラスがニニギに授けた八咫鏡(やたのかがみ)で、歴代の天皇が自分の御殿に祀っていたが、崇神天皇がいつもそばにあるのにビビって笠縫邑(かさぬいのむら)に移して、娘の豊鍬入姫命(とよすきいりひめ の みこと)を斎王にして守らせた。
伊勢神宮が作られる前から、女性皇族が守るものだったらしい。アマテラスが女神だから?
垂仁天皇のとき、倭姫(やまとひめ)に伊勢の五十鈴川の上流に移させた。
伊勢神宮の創建。
このようないきさつがあることから、天皇が伊勢神宮に授けたのではなく、天皇が伊勢に祀ったものである。これは今でもつづいている。
したがって、皇室経済法第7条の規定にある「皇位とともに伝わるべき由緒あるもの」として、皇居内にある形代の鏡といっしょにご神体である伊勢の鏡も同じように伝わるものだとすべきだろう。
だれのものかをはっきりさせると面倒なことになるので、『歴代天皇に伝わるもの』という微妙な線であいまいにしている。伊勢のものか? 国家のものか? に答えていない。
その2。
伊勢の鏡は、作られた経緯、いきさつなどから伊勢神宮のものではないことは明らかで、これを民法上の寄託などとするかについては慎重に検討を要する問題である。
ようするに、伊勢神宮が鏡の本質を無視して、自由に扱うことはできない特殊な存在だろう。
寄託(きたく)は商法の契約の一種で、物を保管する目的だけのために第3者に預けるときの契約。
コインロッカーなどは預ける場所を提供するだけなので、これとはちがう。
預ける人が所有者かどうかは関係ない。
昔から伝えられてきたものを現代法の民法にあてはめるのは簡単ではない。
天皇のものってすると、天皇の個人資産になるのか? 相続税はどうなるのか? そのへんの法律が絡んでくるらしい。
最終的に三種の神器って何円の価値があるの? に行き着くから曖昧にしたいのか?
はっきりしているのは伊勢神宮のものではないということ。
資産価値を決めるってことは実物を見ることになるので無理だと思う。
祟りを恐れぬチャレンジャー、究極の野暮ったい人でない限り。
もし、中身が空っぽだったら0円になるとか?
個人的には、はっきりしなくてもいいでしょ?って思う。
その3。
鏡の本質、いきさつについては、伊勢神宮も分かっていることで歴史的伝統を守ってきた。
新憲法施行後も、伊勢神宮に関する重要なことはすべて皇室に連絡・協議することになっており、現状、とくに改めて伊勢神宮にあーしろ、こーしろと言う必要はないだろう。