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姓、氏、名字、苗字の違いは何か?日本人は感覚で使い分けている。

Q&A image

ご覧のページは 2 / 9 です。先頭ページはこちら。

姓(せい、かばね)は天皇からもらうもの

氏姓制度の姓はグダグダになっていきましたが、明治維新まで残りました。その姓は8種類。

八色の姓(やくさのかばね)と言います。

684年(天武13)、第40代 天武天皇がこれまでの氏姓制度を改正して制定しました。

新設?
真人
(まひと)
第26代 継体天皇のころから使い始めた姓。
天皇の子孫、皇族にしか与えられなかった。

その後も皇族だけの姓で残る。
朝臣
(あそん)
臣下に与えられる最高位。
天皇から権力を預かる氏族に与えられた。

藤原氏平氏源氏、足利氏、織田氏、
豊臣氏、徳川氏...

歴史上の有名な人は朝臣が多い。
宿禰
(すくね)
もともと古代の有力な臣下に与えられた称
号。
伝説の臣下、武内宿禰(たけしうち の すく
ね)が由来。

臣、連姓の人に与えられた。
葛城氏や蘇我氏など、武内宿禰の子孫氏族に
多い。

八色の姓から姓のひとつに加えられた。
忌寸
(いみき)
国造系や渡来系氏族に与えられた。
のちに渡来系氏族の代名詞になっていく。

あまりよくない漢字を使うところに、よそ者
感が出ている。
道師
(みちのし)
記録がなく不明な点も多い。
名称から、技術系を得意とする氏族に与えら
れたのでは? と言われる。

(おみ)
改正前の臣下に与える最高位。
葛城氏(かずらき)、平群氏(へぐり)、蘇
我氏(そが)など。

八色の姓の改正後、旧臣姓の氏族はほとんど
朝臣になった。

地方豪族に与えられる低い姓に変わる。

(むらじ)
改正前は、臣と並ぶ臣下に与える最高位だっ
た。
大伴氏(おおとも)、物部氏(もののべ)、
中臣氏(なかとみ)など。

八色の姓の改正後、旧連姓の氏族はほとんど
宿禰になった。

地方豪族に与えられる低い姓に変わる。
稲置
(いなき)
不明。
一度も使われなかったらしい。
八色の姓
武内宿禰(たけしうち の すくね)

第13代~16代の成務仲哀応神仁徳の4代の天皇に仕えた。

成務天皇と同じ日に生まれ、300才まで生きたという伝説の臣下。

最初の大臣になる。のちに大臣は政治の最高責任者になるが、それをつとめた豪族は宿禰の子孫だといわれる。

隆盛を誇った順に葛城氏(かずらき)、平群氏(へぐり)、蘇我氏(そが)。

大化の改新藤原氏が台頭するまでつづいた。

武内宿禰 系図
宮内庁HPより抜粋 一部筆者加工
大連(おおむらじ)と大臣(おおおみ)

大連は、古代のヤマト王権の最高の役職。連(むらじ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。大伴氏(おおとも)や物部氏(もののべ)。

大臣も古代のヤマト王権の最高の役職。臣(おみ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。葛城氏(かつらぎ)や蘇我氏(そが)など。

大臣は300年4代の天皇に仕えたとされる伝説の臣下、武内宿禰(たけしうちのすくね)の子孫たちが多い。

大連はヤマト王権では軍事・警察を担当。

大臣はもともとヤマトと同格の氏族でヤマトの協力者、大連は昔からヤマトに仕えた臣下といわれるが、武内宿禰はあてはまらない。

ちなみに、大臣は妃を出せるが大連は出せない理由も、もともと同格の大臣からは出せて臣下からは格が違うから出せないと説明される。

しかし、武内宿禰は第8代 孝元天皇の子孫だとされるので、由緒ある家柄だから嫁に出せたという理由の方が説明がつく。大伴・物部氏の祖先は天皇ではない。

連も臣も氏姓制度で設けられた姓。

いまでも政治の最高実力者は総理大臣、外務大臣など大臣(だいじん)というが、ここに由来があるのかは分からない。

(個人的にはあるような気がする。)

改正の特長は、改正前の最高位ランクの姓の上に新たに新設されたこと。

皇親政治のための改正

八色の姓の改正内容を見ると目的がはっきりしています。まず、皇族の子孫に使われた真人姓を制度の中に組み込んだこと。

天武天皇は、律令国家建設のキーパーソンの天皇のひとりです。この人が律令国家建設の土台を作ったと言っていいほど。

そして、律令国家の実行部隊、太政官のメンバーを皇族で固めます。日本の律令制度は天皇をリーダーにして、天皇の子どもやその子孫が官僚・政治家になって政権を動かす皇親政治です。

真人を最高位に置いたのは皇親政治に合わせるため。

律令(りつりょう)

律(りつ。刑法)と令(りょう。民法、行政法)からなる憲法みたいなもの。

7世紀の当時、世界の先進国の1つだった中国から伝わる。

日本は世界の先進国の仲間入りを目指して導入し始めていた。

律令で統治された国家を律令国家、その政治システムを律令制という。

太政官(だいじょうかん)

律令制のなかで政治を動かすトップの組織。いまでいう内閣みたいなもの。

他の官位と同じように四等官で4つの序列があった。

四等官官位
長官
(かみ)
太政大臣(令外官)
左大臣
右大臣
内大臣(大宝律令で廃止。令外官として復活)
次官
(すけ)
大納言
中納言(大宝律令で廃止。令外官として復活)
参議(令外官)
判官
(じょう)
少納言など
主典
(さかん)
省略

左大臣は総理大臣みたいなもの。行政の全責任を負う。

最初はなかったが、近江令で左大臣のさらに上の太政大臣ができた。

最初の太政大臣は大友皇子

(その後、平清盛、豊臣秀吉など)

太政大臣は、よっぽどの人でないとなれないので空席もあった。

明治新政府で置かれた太政官は同じものではなく、似たものをつくって置いた。『だじょうかん』といい呼び方もちがう。

明治18年に内閣制度ができて消滅する。内閣制度はイギリスがモデルだが、いまでも名前で太政官が受け継がれている。

内閣の一員 -> 大臣(だいじん)

官僚組織 -> 長官(ちょうかん)、次官(じかん)

日本では大臣を『相』ともいう。呼び方が2つあるのは日本独自と輸入品の両方を使っているから。

首相 = 総理大臣

財務相 = 財務大臣

○○相イギリスの議院内閣制の閣僚の日本語訳
○○大臣太政官の名残り。日本だけ。

政治ニュースでよく見るとわかる。外国の政治家には『大臣』といわず『相』といっている。

ちなみに、アメリカのような大統領制の『長官』は太政官の長官(かみ)とは関係ない。日本人に分かるようにあてはめただけ。

大臣は『天皇の下のリーダー()』という意味。天皇がいないと大臣は存在できない。天皇の『臣下=君主に仕える者』だから。

改正前の最高ランクはなぜ格下げされた?

そしてもうひとつ、改正前の最高位ランクを大きく格下げしたこと。これは改正する動機から来ています。

氏姓制度が末期にもなると、氏族が名乗る姓がぐちゃぐちゃになっていました。天皇が与えてないのに最高位の臣や連を名乗るヤカラもいたくらい。

天武天皇がやったことは特別なことではありません。歴代の天皇、そのときは大王(おおきみ)ですが、氏姓制度下の大王たちは、乱れた氏姓の整理を何度も行ってきました。

いつの時代も不届き者がいたらしい。

八色の姓ではグチャグチャになった氏姓を再配置して、臣、連だった人は朝臣・宿禰になりました。

逆にそれからもれた氏族が勝手なことをしたヤカラ。臣や連のまんまの人は『アイツ、なんちゃってだったんだね~』と陰口を言われていたでしょう。

『見えない姓』と『主張する姓』

奈良時代以降、氏姓制度がグダグダになって律令国家になると、2つの姓が残ります。

『八色の姓』と『それ以外の姓』。

どちらも天皇からもらいます。というか天皇以外からもらう姓は日本にありません。八色の姓以外では有名なものばかり。

藤原(たちばな)、、豊臣...

これらは血族集団としての意味合いもあるので、氏(うじ)にもなります。

no image person
姓と氏のちがいは?

と聞かれたら答えは、

『八色の姓以外の姓は氏と同じ。』

『藤原、源、平、豊臣は姓でもあるし氏でもある。』

『足利、織田、徳川は氏。』

(氏のくわしい説明はあとで。)

姓は2種類ある。

『八色の姓』と『氏と同じ意味の姓』

一般的に知られてるのは氏と同一の姓。

偉い人は2つの姓をもっている

姓は天皇からもらうものなので一般庶民には関係ありません。権力に近い人だけに与えられる特権でした。

そして、その人たちは、ひとりで2つの姓をもちます。

たとえば豊臣秀吉は『豊臣朝臣秀吉』

セカンドネーム
(ファミリーネーム)
ミドルネームファーストネーム
豊臣朝臣秀吉
氏と同一の姓八色の姓名前

また、『氏と同一の姓』をもっている人は、これとは別に普段使う氏をもっている人がいます。

(これも後で説明。)

日本の歴史では3つの幕府がありましたが、本名を見ると全員もれなく同じ姓をもった一族だということが分かります。

幕府創設者本名
鎌倉源頼朝源朝臣頼朝
(みなもと の あそん よりとも)
室町足利高氏源朝臣高氏
(みなもと の あそん たかうじ)
江戸徳川家康源朝臣家康
(みなもと の あそん いえやす)

『八色の姓』は実印みたいなもの

本名が知られないのは、正式の場でしか使わず普段は使わないから。

正式の場は、天皇の御前とか目上の人に会うとき、外国との交渉のときなど。徳川家康も外交文書では『源』を使っています。

ほとんどの人には知られなかった『八色の姓』は明治維新まで残りました。

源頼朝、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の姓を知らない人は多いですよね?

もう何度も言っちゃったけど、答えは『朝臣』。権力をもっていただけあって臣下の最高ランクです。

『源朝臣(みなもと の あそん)』や『〇〇朝臣(あそん)』はドラマや映画でもよく聞きます。

その場面は、両手をついてかしこまってたり、出世しイキって『我は〇〇朝臣〇〇ぞ!』と宣言するところに多い。

それだけ朝臣には絶大な力がありました。その大きさは水戸黄門の印籠なんかただの薬入れにしか見えないほどの力。

今でも皇族は姓を持たない

姓は天皇から与えられる名前です。ということは、天皇および皇族方は姓を持ちません。天皇に姓を与えるほどの地位が日本には存在しないから。

これはずっとつづいています。いまでも天皇、皇族方には姓がありません。報道などでもファーストネームか宮家の名称でしか呼ばれないのはそのため。

昔は姓を持つほうが珍しかったのに。不思議な感じ。

ちなみに、天皇陛下(上皇も)と皇太子は皇族の中でも別格で、絶対に名前では呼ばれません。

愛子さま、雅子皇后と名前で呼ばれている皇族方は、絶対に天皇にならないか、まだ天皇になるか決まってないから。

それくらい、天皇になる人(だった人)は別格です。

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