第75代 崇徳天皇。非業の死を遂げて大魔王になる。日本三大怨霊のひとり。
崇徳天皇(すとく)は、出生にただならぬスキャンダルがあり、生まれたときから父・鳥羽上皇に嫌われ、すべてを奪われる悲運の天皇です。
弟の後白河天皇と戦争をして負けて島流しされてしまい、最後は大魔王になって祟ります。
日本三大怨霊になっているところに、この人の人生が詰まってる。
続きを読む第36代 孝徳天皇。日本で初めての元号・大化。最後は総スカン食らって孤独死
孝徳天皇(こうとく)は、あの『大化の改新』をおこなった天皇です。日本で初めて元号を制定しました。『大化』。
でも、最後はみんなに嫌われて勝手に都を移されて、悲しみに暮れるなか孤独死します。
というか周りの人がヤバいと思うんですけど。
孝徳天皇は史上初の改元をした天皇でもあります。
続きを読む第43代 元明天皇。息子から皇位を引継いだ稀な女帝。初老での即位は限界だったか?
第43代 元明天皇(げんめい)は、710年の平城京遷都で有名ですが、息子から皇位を受け継いだ歴代天皇の中でもまれな女帝です。
(退位したときも母から娘へ継承した。これまた、まれな天皇。)
もう寿命が来てもおかしくない年齢で即位したので、途中で放り投げたように見える退位でした。
続きを読む鎌倉時代は孫請け会社がトップリーダーだった!なんでそーなるの?
鎌倉幕府の不思議なところは、天皇がお飾り、将軍ですらお飾りにして、その部下たちが実質的な政権をコントロールしたところです。本来なら政治権力を握るはずのない人たちが権力者でした。
発言力があるなら上の立場になってもいいはずなのに、それは下のままで。これが意味不明。
続きを読む明治より前の地方(旧国・令制国)のランク。地元が低くても凹まないでね?
越前国(えちぜん)、陸奥国(むつ)、武蔵国(むさし)などなど、今の都道府県とはちがう地方の区分がありました(旧国)。
いまでは地域名や市町村などに残っているものもあります。そしてその地域には規模や朝廷が重要ポイントだと思っていたなどでランクがありました。
このランクを見ると昔の日本人がどこに憧れていたのかが分かります。
続きを読む初代 神武天皇。神話の中で決して英雄でない普通の人。異常な長生き以外は。
神武天皇(じんむ)は初代天皇なのに、神話上の人なのに、奇跡を起こさない、マッチョでもない、かっこいいヒーローでもありません。
特別な才能を発揮したわけでもない普通の人。たまに神話らしい神がかり的なこともありますが、そこまでミラクルを起こしているわけでもない。
続きを読む第12代 景行天皇。ヤマト王権ピンチ。反抗的な豪族を力でねじふせる
景行天皇(けいこう)は、ヤマト王権3代目リーダーです。3代にもなると王権の力が弱くなります。反抗的な豪族がたくさん出てきました。
そこで景行天皇の息子で討伐軍の闘将・ヤマトタケル(日本武尊)が登場します。
景行天皇が遠征して九州征伐したともいわれます。
続きを読む第54代 仁明天皇。『承和の変』で藤原一強がはじまる。摂関政治への布石。
第54代 仁明天皇(にんみょう)は、18年も天皇だったのに存在感がありません。
しょうがないです。藤原一強になるきっかけ『承和の変』が起きるなど、まわりの権力闘争が目立つので。
父の嵯峨上皇が凄すぎてやることがなく、『何をしたか?』よりも『何が起きたか?』がポイントになる天皇。
続きを読む因習(いんしゅう)の意味は?伝統との違いは何か? 見過ごすととんでもないことが起こる。
古くから伝わる風習、習わしのことを”伝統”や”因習”といいます。この”伝統”と”因習”は同じような意味をもちますが、けっして同じものではありません。
一言でいえば
悪い伝統 = 因習
といったところ。
一見、無視すれば良いように見えますが、スルーしただけでもとんでもないことが起きるのが因習です。
続きを読む左大臣、右大臣って何者? ついでに大納言・中納言・参議ってなんだ?
左大臣・右大臣、大納言・中納言って何度も聞いたことあるんだけど、何なのか答えられない。
『いや、お前が勉強してなかっただけだろ?』と言われればそれまでですが、これ、今でいうと内閣の総理大臣・副総理、重要閣僚の面々です。
内大臣(内臣)についても触れます。大臣だけに上の人ですが閣僚とはちがう。
続きを読む第26代 継体天皇。歴代の中で一番血統の遠い天皇。福井在住のお爺ちゃんが即位する。
継体天皇(けいたい)は、歴代天皇の中で一番血統が遠いところから即位した天皇です。即位したときは都にすら住んでいませんでした。
本人も福井にいたかったらしく、一度は断りしぶしぶ即位します。
継体天皇の系統がいまの今上天皇まで続いていますが、あまりに遠くから来たので王朝交替説もあります。
続きを読む第21代 雄略天皇。皇位継承者をみな殺し。残虐極まりない大悪人か? 徳のある天皇か?
雄略天皇(ゆうりゃく)は、兄弟・いとこなど、天皇になれるような皇子たちを次々に殺していきます。
(分かっているだけで4人。)
ほかにも、ろくに調べずに怒りにまかせて殺しているので、『大悪天皇』と呼ばれました。
逆に『有徳天皇』ともいわれたクセのある人です。
続きを読む第66代 一条天皇。宮廷文化の最高潮で豊富な人材が揃う。いよいよ藤原道長の登場。
第66代 一条天皇(いちじょう)はほぼ無名ですが、その時代は平安のイメージが凝縮されています。
藤原道長の栄華、清少納言、紫式部、和泉式部の活躍、安倍晴明の活躍などなど。
登場人物のキャラが強すぎて一条天皇の存在感が薄いですが、平和で『これぞ平安』という時代でした。
続きを読む武士はどこから来たのか? なぜ生まれたのか? 日本は軍事が嫌いだから生まれたかも。
武士が生まれたのには、長い歴史の中でポイントになる部分がいくつもあります。
たんに豪族から武士になっただけでは片付けられません。天皇の政策だって影響しています。
『武士が生まれた理由はこれだ!』と決められず、合わせ技一本のようにポイントの積み重ねで生まれました。
続きを読む第76代 近衛天皇。藤原氏の権力闘争に巻き込まれる。左大臣に呪い殺された?
政治の実権は父の鳥羽上皇にあったため、近衛天皇(このえ)はほぼ表舞台に出ませんでした。政治の中心は藤原氏の内紛がメインになっていきます。
近衛天皇は自分の妻でさえ内紛のネタにされました。
この時代の天皇は存在感のある人が多いのに、15年も在位期間のある近衛天皇はほとんど見えません。
続きを読む第37代 斉明天皇。史上初の天皇返り咲き。今度は剛腕をブンブンふりまわす?
斉明天皇(さいめい)は、一度退位してからまた天皇に即位する重祚(ちょうそ)を初めてした人です。
前は災難つづきで何もできず4年で終わってしまいましたが、今度は持ち前? の剛腕をふるい勇ましい天皇として帰ってきました。
歴代で最後の戦地に向かった軍の総司令官の天皇です。
続きを読む第45代 聖武天皇。病弱な仏教マニア。政治はデキる人におまかせ。
第45代 聖武天皇(しょうむ)は、東大寺の大仏などを建立した有名な天皇ですが、病弱で天皇の仕事は先代の元正上皇に丸投げでした。
仏教オタクといってもいいです。そのオタクぶりが、いまの日本の大切な遺産になっています。『オタクが世界を変える』の典型の人。
続きを読む君臣の別(くんしんのべつ)の意味は? 差別の元凶と平等思想に見える不思議な言葉。
日本では、君主と民の関係は昔から独特でした。欧米のように契約関係もなく、絶対的な主従関係もありません。
それなのに、天皇と民の間には暗黙の信頼関係があります。
普通は結びつかないのに結ばれているところに『君臣の別』という考えがあります。皇位継承問題でも必要な考え方です。
続きを読む国司ってだれが偉いの?昔は地域格差を法で決め1000年以上使われた。
越前守、伊勢守、上野介...。戦国大名や江戸時代の武士たちが名乗ったこの名前は、本当は名前ではなく役職です。地方統治の長官・次官の名前。だからそれぞれの国名が入ります。
そして同じ長官でも、国によって朝廷の位階(等級)に差がありました。越前守と駿河守では越前のほうがワンランク上というように。
続きを読む初代 神武天皇。東征神話でヘタレを露呈する。大惨敗の上に兄が戦死。
初代 神武天皇(じんむ)は天下統一のため日向(ひゅうが。宮崎)を出発しヤマト(奈良)へ向かいます。道中、英雄らしからぬヘタレを露呈し、大阪では豪族と戦争してコテンパンにやられました。
神武の東征は英雄の遠征記録ではありません。人間味のある成長物語です。
続きを読む第13代 成務天皇。地方の統治機構を作ってヤマト王権のレベルを上げる
成務天皇(せいむ)はヤマトタケルの弟で、タケルが行なったヤマト王権の武力討伐のあとを引きつぎました。織田信長を引き継いだ豊臣秀吉に似ている。
そこからさらに、都道府県・市区町村みたいな地方の統治機構を作って国のかたちをワンランク上げます。
(国造・県主(くにのみやつこ・あがたぬし)の登場。)
続きを読む第55代 文徳天皇。皇子の大量リストラと藤原一強確定。暗殺された?
第55代 文徳天皇(もんとく)は、母の実家も嫁の実家も藤原氏です。
この外戚の力で藤原氏は復活しました。復活どころか1000年以上、親戚であり仕事のパートナーであり続けます。
藤原氏に対抗しそうな勢力の大量リストラもありました。文徳天皇の意思なのかは不明。
続きを読む摂政と関白はどっちが偉いのか? 何が違うのか? なんで似たものが2つもあったのか?
摂政と関白は摂関政治で一緒にされます。それによって、意味、ちがい、上下関係など、ワケが分からなくなっています。
じっさいは摂政と関白が同時に存在することはありえないんですが、よけいに分からなくなるのかな?
あらためて摂政、関白のちがいを考えます。
続きを読む左弁・右弁・少納言(三局), 太政官の実働部隊の最強トリオ。
太政官は律令制度の官僚組織の中心で、今でいう内閣府なんですが、その中にさらに中枢の中枢がありました。
左弁官・右弁官・少納言。それらには『局』が付けられ部局として存在していたので三局(さんきょく)といいます。
サッカーの4・3・3システムのMFだと思えばいい。サッカーに興味ない人にはチンプンカンプンですが。
続きを読む第27代 安閑天皇。2代目マスオさんの奮闘記。ヤマト王権の直轄領を地方に作る。
福井の40すぎのオッサンが、父が天皇になったのにつられて皇太子になり、天皇にまでなったシンデレラ?ストーリー… その主人公が安閑天皇(あんかん)です。
安閑天皇はヤマト王権の直轄領を地方にはじめて作りました。歴史の教科書にも出てくる屯倉(みやけ)です。
続きを読む第22代 清寧天皇。ほんとうにいたのか?白髪の天皇。名門・吉備氏が没落する。
清寧天皇(せいねい)は生まれつき白髪で、妻をひとりも持たず子どももいませんでした。
ビジュアル的には一番カッコいい天皇に思えますが、個人的には実在があやしいと思っています。
古代の名門・吉備氏は清寧天皇の即位に不満をもった皇子に呼応して没落しました。
続きを読む第67代 三条天皇。藤原道長のイジメに心折れて退位。約束もかんたんに破られる。
第67代 三条天皇(さんじょう)は、最大の実力者・藤原道長にイジメたおされて、心がポッキリ折れて退位します。
というか道長は中学生のいじめっ子みたいで幼稚すぎる。
そんな道長が三条天皇が退位の条件につけた取引を守るわけがありません。守るつもりがなかったのですぐに破りました。
続きを読む武家政権は平氏と源氏が交互になっていたって本当?(源平交代論)
『武家政権は平氏と源氏が交代で担当していた』という話を聞いたことがあるでしょうか?
源平交代論(げんぺいこうたいろん)と言います。
歴史好きには『たしかにそうかも?』と思う話で『そんなバカな!』という話です。
キッチリしたい性分としては、はっきりさせたいと思います。
続きを読む第77代 後白河天皇。『能もなく芸もなし』から大変身! 武士と闘争した最初の天皇。
後白河天皇(ごしらかわ)は、朝廷内での評価が最低でした。しかし、本人はどこ吹く風でどんどん大政治家へと成長します。
平清盛、源頼朝とわたり合い、武家を利用しながら、されながら、30年以上トップでありつづけました。
皇族同士、武士との権力闘争を生き抜き、歴代天皇の中でも激動の政治の中心にいた人です。
続きを読む第38代 天智天皇。なかなか天皇にならない中大兄皇子。慎重な名君か?ただのダダっ子か?
天智天皇は(てんじ)は、あの中大兄皇子(なか の おおえ の みこ)です。
4代の天皇の皇太子なのに即位せず、先代の斉明天皇が亡くなったのに7年間も即位しませんでした。
中大兄は『天皇になりたくなったのでは?』とも言われ、超絶慎重な性格だったとも言われる。
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